映画『十二人の死にたい子どもたち』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

十二人の死にたい子どもたち

 

 

絶望が足りない

 

集団自殺というと最近じゃ座間市の事件を連想してしまう所だが、この手の「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な意志の弱さに付け込まれた被害者は、もしかしたらSNSがなければ事に至る事などなかったのかもしれない。たかがSNSや同調圧力に振り回されてしまうのは村社会気質を引き摺った日本人の悪い癖。今作はSNSでの呼びかけで集団自殺のために廃病院に集まった中高生たちが殺人事件に出くわし謎解きをする羽目になるという似非ミステリー大好きな堤さんらしい内容。親に生命保険を賭けられて殺される前に自殺しようとしてるヤンキーやら様々なコンプレックスに悩むいじめられっ子など、それぞれに事情がある訳だが、どれも自殺をするには絶望が足りない。ただの甘えと傷の舐め合い。

 

ジャンベッケルの『エリザ』で父親役のドパルデューばりに絶望してからでも自殺を考えるのは遅くない。とりあえず達観したふりをしてニヒリスト気取る前に徹底的に抗ってみましょう。やったらダメと大人に規定された事の多くは意外とやった方が良い事だったりします。そもそも今の大人の多くが未来を生き抜く知恵を持ち合わせていないのだから、そんな連中に従っていれば自殺しなくとも時代に圧殺されます。どちらにせよ若くして自殺を選ぶほどに自分は絶望したのだと思い込むのは傲慢です。いくらでも試してない事がある奴は絶望するに値しません。