映画『哭悲』の感想 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

哭悲/the sadness

 

 

利便性と孤立

コロナ禍に韓国では『新感染』シリーズとかが流行った訳だが、その台湾版とでも云った所だろうか。いわゆるゾンビ映画って奴はラジカルな社会風刺を好むロメロ版によって有名になっただけに社会の風潮を敏感に入れて来ます。この作品は目ん玉を潰してチンコ突っ込んだりのグロ描写で話題になった訳だがテーマ的にはそれなりに的を得ています。このウィルスは人間の暴力性と性衝動を刺激して大衆を暴徒に変える。だから理性がありながら残虐行為への欲求を抑えられなくなりリンチ集団と化すのです。これって感染症という形を借りて剥き出しの人間の本性を描いてるのではないだろうか。つまりコロナウィルス自体ではなくポリコレ棒振り回す自粛警察の方。実際のコロナも老人と白人にとっての脅威でしかなかったものがメディアで恐怖だけが増幅されてインフォデミックとして有色人種さえも経済的に追い詰めた。この現象はウィルスという自然現象というより人災の側面が大きい。つまりはウィルス騒動を悪用して我田引水を試みる人間の多さが事態を悪化させた。

 

それこそ人間の性根が捻じ曲がり「今だけ金だけ自分だけ」になっている事が最もクリティカルに社会を破壊したのだ。それこそ期に乗じてアテンションエコノミーで荒稼ぎしようとする者もいれば若者を叩いて憂さ晴らしをする負け犬老害もいる。むしろ私がリモートワークを受け入れたのはウィルス感染というよりポリコレ老害によるリンチを避けたかったから。TVに感染するバカな老害ほど憂さ晴らしを求めている。つまりウィルス騒動に乗じて自粛ポリコレを振り回す事で火事場泥棒的に暴力性を剥き出しにするのです。それこそ今作に描かれる感染者のように悪質で残虐な本性を恥じない。ヒロインを電車の中でナンパしようとしたゲロ親父の行動は正にポリコレの皮を被っただけの強姦魔。現代人にはこの手の連中が異常に多い。つまりは正しく在りたいから正しく振舞うのではなく、ただ欲望を剥き出しにする事を禁止されてるから正しさを装う。この手の利己主義者は自由主義的な大衆社会では当然増殖する訳だが、やはりIT等の技術的進歩による直接他人を頼らずに済む利便性の中の生活が孤立を生み性根を腐らせた結果だろう。スマホの話題等、所々で現代人の人間性や公共性の欠如に触れる台詞が散りばめられています。つまり問題はコロナではなく人間が実質的に野蛮化して性衝動と血に飢えた獣になってしまった帰結が昨今の疫病騒動なのです。