『桐島部活やめるってよ』の感想from映画生活 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

2013-04-12の投稿

桐島、部活やめるってよ

 

 

全員負け組ヒエラルキー

 

画面上には登場しない"桐島"なる優秀な人物の行動を巡って

彼の周囲の人間が振り回される学園ドラマの群像劇。

物語の構成は金曜から翌週の火曜までの5日間に起きた事を

時系列に追っているが、金曜と火曜だけは同時刻に起きた事を

視点を変えて繰り返す事で、裏を見せるというタイプ。

 

登場人物は様々な部活に打ち込む生徒と帰宅部の生徒がいて

それぞれのスタンスの違いがキャラを印象付けています。

どの運動部からも引く手数多のスポーツ万能な奴もいれば

一生懸命に打ち込んでいるにも関わらず才能がない奴もいる。

優秀だが斜に構えた奴と真剣にやっているのに追いつけない奴。

好きになった異性と付き合える者と付き合えない者。

高校生の部活とはいっても人生の縮図が表れているものだ。

 

だが、優秀な奴が勝ち組なのだろうか。その考えは甘い。

云わば"桐島"以外は全員が人生の負け組と考えて間違いない。

"桐島"にしても勝ち負けを争えるフィールドに立っただけ。

大多数の人間はフィールドにすら立てずに負けて終りなのだ。

世の中の9割は負け組で、勝ち組の奴隷にしかなり得ない。

その事実に気付き始めて目を背けたいから斜に構えてしまう。

優秀な奴ほど、早い段階で力の差には気付いてしまうものだ。

圧倒的な才能があり並ならぬ努力を重ねチャンスを掴む運もある。

そんな連中の中で特に優れた奴だけが人生の勝ち組になり得る。

いわゆる"普通の高校生"でいる時点で人生の負けはほぼ決定。

そこから目を背けるか、抗い続けるか…或いは受け入れるか。

この映画の登場人物にはその3種類の負け組しかいない。

 

好きになった相手に別の恋人がいた事を知った者同士のシンパシー。

いくら努力しても優秀な友人の足元にも及ばない者同士のシンパシー。

目を背けて自分のフィールドから逃げている者同士の馴れ合いシンパシー。

結果が分からず抗い続けている者が勇気を与えてくれる存在に思えても

そんな奴ほど、とっくの昔に負け組としての人生を受け入れている。

そんな残酷な事実に、かすかな希望すら打ちのめされてしまう。

そんな負け組の敗北感と足掻きを冷徹に描き出した青春映画。

 

吉田大八監督は現在のヒットメイカーの中ではかなりの実力派。

とはいえ個人的には『パーマネント野ばら』ですら

リバイバル上映でしか見ていないという具合に乗り遅れた。

極めて正当な手法でシビアな世界観に観客を引き込む。

シビアな内容って奴は拒否反応を起こさせる危険もあるのに

それでも引き込んでしまう力が彼の映画にはあるのです。

それ故に自分としても手放しに飛び込むのは躊躇ってしまう。

打ちのめされるようなタイプの作品は精神的に疲れるから。

いや、むしろこの作品は、観客を打ちのめす映画というよりも

打ちのめされた奴らの映画と云った方が正解かもしれません。