『ホーリーモーターズ』の感想from映画生活 | アキラの映画感想日記

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映画を通した社会批判

2013-04-12の投稿

ホーリー・モーターズ

 

 

演じる孤独

 

かつてジョンカサヴェテスはカメラマンに対して

「俺の演出は完璧だから役者がどう動いても追えるように撮れ」

という指示しか出さなかったなんて話を聞いた覚えがあります。

そんな指示はこの物語の舞台には必要ありません。

なぜなら見えない程に小型化されたカメラが

あらゆる場所に仕掛けられているという設定だから。

ここまでメディアが進化すると表現手法も変わってしまう。

舞台やスタジオで演じる必要がなくなり、どこにでも虚構を持ち込める。

つまりはハプニング系のパフォーマンスが芝居の主流表現になる。

そんなジョージAロメロの『ダイアリーオブデッド』で語られるような

メディア進化論をもう少しシャレた感じで描いているような内容。

 

この物語はひとりのセレブな役者の一日を淡々と描いています。

乞食、スタントマン、怪人、父親など、様々な役に扮して

あちこちで依頼通りのパフォーマンスをして回る日常。

クライアントが誰で何故こんな事をさせるのかは分からない。

ただただ虚構のキャラクターと行為だけが繰り広げられる。

我々観客から観ていてもどこまでが現実だか分からなくなる。

役者個人の物語だと思いきや、それもただの芝居だったりするから。

 

シェイクスピアは「人生とは芝居の舞台だ」なんて事を云ったらしいが

本当にそうならば自分としては何も信じられなくなってしまう。

この映画を見ていた時の心境が正にそんな感じでした。

騙し続けられると、どんどん主人公への感情移入が難しくなる。

演じれば演じるほど主人公は観客から孤立してゆくって具合に。

役者の完全なる孤立こそが映画の狙いだとしたら大成功です。

 

意外かもしれませんが私は映画に対してメジャー趣向です。

単に欲張りだから世界中の超メジャー所を美味しい所取りした結果

日本ではマイナーとされる作品に辿りついてしまう訳です。

ラージカプールもユーセフシャヒーンもダンニャットミンも

ウスマンセンベーヌも母国では日本の黒澤明レベルの巨匠。

これが日本の常識からしたらマイナーに見えてしまうだけ。

そんな訳で、あえて有名作品以外を好む傾向はありません。

 

つまりカラックス作品では、やはり『汚れた血』がマイベスト。

あの鋭さに比べたら『ボーイミーツガール』も『ポンヌフの恋人』も

鈍すぎて眠くなってしまいます。時をおいて『ポーラX』は

典型的なデカタンスとして楽しめたが、やはりこれも鈍い。

で、更に時をおいて今作だが、正直更に鈍くなってしまった。

カラックスならではの唐突な表現に驚かされなかった訳じゃないが

鬼才としての力が"健在"とは言い難い程度でした。