本日は加藤樹里ちゃんのお誕生日です。21歳になりました、おめでとうございます。月曜日生まれ。WILD FLOWER所属。モデル中心にマルチに活躍できるタレントを目指しているとのこと。

同年同日放送「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」に出演していたのは藤井フミヤさん。翌日は実弟の藤井尚之さんであった。翌日に尚之さんが出演すると長めの髪をいじる癖をよく剥き出しにしており「ファンの夢壊さないで」という批判も出ていた。

 

そのほかには志賀直哉、石川啄木、水之江滝子、青木一雄(アナウンサー)、ロバート・アルトマン(映画監督)、栃錦清隆(第5代日本相撲協会理事長)、リチャード・マシスン(小説家)、シドニー・ポワチエ、広岡富夫(元広島)、黛敏郎(作曲家)、浅香光代、ジョン・ウィラード・ミルナー(数学者)、内井昭蔵(建築家)、長嶋茂雄(元巨人監督)、小平桂一(天文学者)、山藤章二(イラストレーター)、久保友之(元大阪タイガース)、クリストフ・エッシェンバッハ(指揮者など)、百瀬博教(作家など)、クライド・ライト(野球)、アントニオ猪木、マイク・リー(映画監督)、ドナルド・マクファーソン(フィギュアスケート)、ジョージ・スムート(物理学者)、広瀬宰(元西武ライオンズ)、小山ゆう(漫画家)、柴田宋休(陶芸家など)、志村けん、ばんばひろふみ、土山しげる(漫画家)、ゴードン・ブラウン(イギリス首相)、美内すずえ(漫画家)、有田芳生(政治家)、かとうかず子、高塚哲広(気象予報士)、ビル・ガリクソン(元巨人)、稲田朋美、真島昌利(THE BLUE HEARTSなど)、イアン・ブラウン、山越吉洋(元オリックス)、遊佐未森、田中ウルヴェ京、いしのようこ、外道(プロレス)、渡辺梓、シニシャ・ミハイロビッチ、忰田幸也(元ヤクルト)、ヤリ・リトマネン(サッカー)、シェーン・スペンサー(元阪神)、窪田淳(元オリックス)、森田剛(V6)、井澤健、石田明(NON STYLE)、内山真吾(昭島市議会議員)、中村悠一(声優)、あけど亮太(埼玉県川越市議会議員)、二宮康、aika(平原綾香の姉)、小西遼生、上村和裕(元広島)、ジャスティン・バーランダー(野球)、小出恵介、矢部美希(矢部美穂の妹)、ブライアン・マッキャン(メジャーリーガー)、ユーリャ(t.A.T.u.)、小川彩佳(テレ朝アナ)、夏目理緒、キム・ヘミン(フィギュアスケート)、竹中一江、イ・ソンビン(フィギュアスケート)、GOLF(GOLF&MIKE・GYM)、中島愛(PLIME)、リアーナ、黒田真由(体操)、秋場まなと、土屋詩穂、セバスチアン・イヴァサキ(フィギュアスケート)、橋本奈々未(乃木坂46)、伊藤梨沙子、石波義人、あえか、高橋久美子(キャラデザイナー)なども本日がお誕生日です。おめでとうございます!

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アントニオ猪木さん(土曜日生まれ)と長嶋茂雄さん(木曜日生まれ)は同じお誕生日。これは「トリビアの泉」でも紹介された。ただし年齢は長嶋さんのほうが7つ上。二人は番組で対談したことがあり、同じお誕生日だとわかるとすぐ仲良しに。

猪木さんは最強の糖尿病患者を自称。

南海の鶴岡一人監督(故人)は長嶋を南海ホークスに誘おうとしたら断られたが、断られても鶴岡監督は全く悲しまず、逆に励まされたという。

映画監督の故大島渚氏は大の南海ファンで「長嶋が南海に入ってくれるかもしれない」と聞いたら確信し、期待していたという。

長嶋本人は本来、契約金が一番高いなど、条件が良かったこともあり、南海入団を希望するも、大学在学時に臼井町役場職員だった父親の急逝で大黒柱を失うと、行商で生計を立て始めていた母親を尊敬していたがあまりに母親の「在京球団に」という声に逆らえなかったという。その母親は1994年まで90過ぎになっても生きていた。死去当日は愛知県名古屋市におり、兄から訃報を聞かされたといい、数か月間、母の死を隠していた。そして母には初の日本一を見せられず。

故杉浦氏も長嶋氏と共に巨人に入りたかったが、鶴岡監督を悲しませるまいとして南海に。故杉浦氏と長嶋氏は二人とも卒業後のプロの世界は大学時代との比較ではまるで天国のようだったという。

故杉浦氏と長嶋氏は全国的に無名高校に通っていたことも共通で、最期まで二人の友情は不変。

杉浦氏の死去は鶴岡元監督の後を追うような形となってしまったが、死去に当たっては「自分にとって教科書のような男だった」と述べていた(同い年の野村克也氏とは何度もバッテリーを組んでいた。2001年11月11日に66歳で北海道札幌市内のホテルで死去。大阪ロマンズの遠征先で、宿泊場所。死因は急性心筋梗塞。数時間前までは札幌ドームで元気だった)。

故杉浦氏は晩年まで宮崎県における巨人の宮崎キャンプなどを視察していたようで、何かの持病があったのを以前から知っていたのか、監督時代に「いつまで来てくれるのかな?」とキャンプの際に思っていたという。

長嶋さんの横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)監督就任を阻んだのは、今は亡き亜希子夫人の「あなたには巨人以外のユニは似合わない」という一言だったとも言われたことがある。当時の監督は関根潤三さんで、長嶋招聘のためだったが、見事失敗。

関根さんとは巨人時代の同僚。ヤクルトも同じ方式をとったが、後任は長嶋氏と同学年の野村克也さんに。

オリックスや日ハム、西武も長嶋招聘をしようとしたと言われるが、本人は黙っているか否定しており、あるときには「監督ってここまで大変だとは思わなかった」、「現役時代のほうが良かった」として12年も現場復帰がなかった。

長嶋解任後の後任は巨人では一年先輩で、同僚でもあった故藤田元司氏さん。長嶋人気が衰えぬ中で故藤田さんが監督に就任すると「長嶋を窓際にやった男」という異名で呼ばれ、自宅に剃刀が送り付けられるなどの被害も出ていたという。

徳光和夫さんは1980年10月22日放送「ズームイン!朝」で冒頭辺りから20分程も長嶋解任を抗議し、購読していた読売新聞をボイコットするまでに。後々不買運動が各地で出たが、徳光氏の影響とも考えられている。

だが、故藤田監督は就任一年目でいきなり優勝し、日本一に輝くが、これは藤田の功績でなく長嶋の功績だったと人気絶大だった長嶋解任を不満に思う者が長いこと多かった。

皮肉かもしれないが後々藤田監督の評価は高まる。

 

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