今日も快晴ですな。
本日は、私はスタジオをお休みしてパーティーへ。
とりあえずしっかり踊らないと。
そんなわけで、お次のオペラDVDは
ムソルグスキー作曲
『ボリス・ゴドゥノフ』です〜
【『ボリス・ゴドゥノフ』 は、モデスト・ムソルグスキーが作曲したプロローグと4幕から構成されるオペラである。……今日ムソルグスキーの作曲したオペラの中でもっとも有名な作品である。
ムソルグスキーと言えば、「禿山の一夜」「展覧会の絵」くらいしか聴いたこと無いな。
このアルコール依存症丸出しの肖像画を描いたのは、こないだのロマンティック・ロシア展で観たイリヤ・レーピンだそう。
1990年キーロフ劇場。指揮はヴァレリー・ゲルギエフ
全然予備知識が無いので、毎度ながら、wikipediaを引用して調べておく。
ツァーリと言えばイヴァン雷帝ですが、ロシアの王家については全くの無知。
『ボリス・ゴドゥノフ』を理解するには、ロシア史において「動乱時代」と呼ばれる1598年のリューリク朝断絶から1613年のロマノフ朝成立までの経緯を基礎知識としておくことが必要である。
- 1584年、イヴァン4世(イヴァン雷帝)が没する。後には雷帝の二人の息子、病弱で軽度の知的障害を持つフョードルとその異母弟ドミトリーが残される。雷帝の寵臣であるボリス・ゴドゥノフの妹を妻に迎えていたフョードルがフョードル1世として戴冠する。
- フョードル1世戴冠直後にモスクワで暴動が発生する。ドミトリーをツァーリにしようとする一部の大貴族によるものだったらしく、暴動鎮圧後、ドミトリーとその母親マリヤ・ナガヤ、マリヤの一族はウグリチに追放される。
- 1591年、ドミトリーがウグリチで謎の死を遂げる(母親であるマリヤ・ナガヤが城の中庭で喉を切り裂かれ横たわっている息子を発見した)。ヴァシリー・シュイスキーが率いる調査団が派遣され、「ドミトリーは、ナイフ遊びの最中にてんかんの発作を起こし自らを傷つけた」と結論付ける。マリヤ・ナガヤは息子の死に過失ありとされ、修道院に幽閉、一族も投獄される。民衆の間では摂政であるボリスがドミトリーを殺害したという噂が広まる。
- 1601年から1603年にかけて、ロシアを大飢饉が襲う。この飢饉はドミトリーを殺した者が帝位に就いているために起こった天罰だという噂が広まる。同じ頃、ボリスの娘クセニヤ・ゴドゥノヴァの許婚であるデンマーク王子が急死したのも天罰とされる。疫病、暴動が頻発する。
- 1604年、ポーランドに皇子ドミトリーを名乗る若者が登場し、ポーランド・リトアニア共和国、カトリック教会の支持を得てモスクワへ進軍を開始する。ボリスはドミトリーの正体は逃亡修道士グレゴリー・オトレピエフと宣言するが、国内の不満分子はドミトリーを支持し、ロシア南部のコサック等がドミトリー軍に参加する。
- 1605年、ボリスが急死する。息子フョードルが後を継ぎフョードル2世となるが、ドミトリー支持に回る者が後を絶たず、間もなくその母親とともに殺害される。ドミトリーがモスクワ入城を果たし戴冠する。ボリスの娘クセニヤはその妾とされた後、修道院に入れられる。
- 1606年、ドミトリーがポーランド貴族の娘マリーナ・ムニーシェクと結婚する。しかし、皇妃は正教会に改宗するという慣例を破り、カトリックのままだったため、大貴族や民衆、ロシア正教会の反感を買い、婚礼を挙げて直ぐに反乱が勃発、ドミトリーは殺害される。ヴァシーリー・シュイスキーが即位しヴァシーリー4世となる。
- 1607年、モスクワで殺害されたはずのドミトリーが「奇跡的に助かった」という噂が流れ、第2のドミトリーが登場、モスクワ進軍を開始する。モスクワ占領はできなかったもののモスクワ近郊トゥシノに陣を構える。
- 1612年、第3のドミトリー処刑される。義勇軍によりモスクワ開放される。
だそう。
登場人物が次から次へと死んでいくな。
自分が生き残るには、反対派を全員殺すしかない。
第3のドミトリーって。
で、観てみた
最初はなんだか、トゥーランドットみたい。
そんなに悪くない歌唱が延々と続くけど、覚えやすいような旋律は無い。
合唱とか元気のいい部分はいいけど。
3時間を超える大作ですが、歴史の予備知識が無いとキツいな。
タイトルロールのボリス・ゴドゥノフがひたすら悩み深い様子。
主役なんだから、もう少し活躍して欲しい。
今ひとつ楽しめないまま終了。
次だな