三島由紀夫 『天人五衰』〈豊饒の海・第四巻〉 | ダンス徒然草 〜千葉・社交ダンス教室のあれこれ〜

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ギリギリで読み終えました。

全四巻に渡る壮大な物語、三島由紀夫豊饒の海』。

ヤキモキする恋愛小説だった第一巻『春の雪』
神風連史話が苦痛だった第ニ巻『奔馬』
唯識は理解不能だった第三巻『暁の寺』

と来て

第四巻『天人五衰』でした〜

天人五衰という言葉は初めて聞く。


【天人五衰(てんにんのごすい)とは、仏教用語で、六道最高位の天界にいる天人が、長寿の末に迎える死の直前に現れる5つの兆しのこと。

大般涅槃経19においては、以下のものが「天人五衰」とされる、大の五衰と呼ばれるもの。これは仏典によって異なる。

  1. 衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服が垢で油染みる
  2. 頭上華萎(ずじょうかい):頭上の華鬘が萎える
  3. 身体臭穢(しんたいしゅうわい):身体が汚れて臭い出す
  4. 腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れ出る
  5. 不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がる

このうち、異説が多いのは3つ目で、「身体臭穢」の代わりに

  • 『法句譬喩経』1や『仏本行集経』5では「身上の光滅す」
  • 『摩訶摩耶経』下では「頂中の光滅す」
  • 『六波羅蜜経』3では「両眼しばしば瞬眩(またたき、くるめく)」

となっている】


うーむ。

さっぱり。

仏教用語どころか、宗教のことなど何も知らない。


で、読んだ


第三巻から主人公のようになって来た本田繁邦の、「見る」「認識する人」という部分がますます強調されている。

転生を目の当たりにしたから認識者になってしまったのか。

「見る」達人の本田繁邦と、転生者らしき安永透。

安永透の悪人ぶりが、なんだか現代のミステリー小説のよう。
読みやすい。

天人五衰とは、本田のことなのか、転生者のことなのか、それとも。

ラストは衝撃。
なんですの?

唯識阿頼耶識なんかを少し学ばないとよく分からないな。

でも、面倒だから、自分の感想を抱くだけ。

面白かったかと言えば、なかなか面白かった。

三島由紀夫の文章は装飾が多くて、ただ楽しんで読むにしては、大変だけど。


これになんとか間に合った

こんなの、一舞台に纏められるの?

お客さんは小説読んで来るのかな?



それはそうと、お次の小説はこれ

これも期限があるので、とりあえず早めに。


忙しや




天人五衰 あらすじ

編集時代は1970年(昭和45年)から1975年(昭和50年)夏まで。

76歳となった本多はすでに妻を亡くし、67歳の久松慶子と気ままな旅をしたりして暮していた。本多は、天人伝説の伝わる三保の松原に行った折、ふと立ち寄った清水港の帝国信号通信所で、そこで働く聡明な16歳の少年・安永透に出会う。彼の左の脇腹には3つの黒子があった。本多は透を清顕の生まれ変わりでないかと考え、養子にする。そして英才教育や世間一般の実務マナーを施し、清顕や勲のような夭折者にならないように教育する。しかし本多は、透の自意識の構造が自分とそっくりなのを感じ、本物の転生者ではないような気もした。透は次第に悪魔的になっていき、養父・本多が決めた婚約者の百子を陥れて婚約破棄にする。東大に入学してからは80歳の本多にも危害を加えるようになった。
透に虐待されるストレスから本多は、20年以上やっていなかった公園でのアベック覗き見を再びしてしまい、警察に取り押さえられ、その醜聞が週刊誌沙汰になる。これを機に透は、本多を準禁治産者にしようと追い込み、自分が本多家の新しい当主として君臨しようと企む。見かねた久松慶子が透を呼び出した。そして、本多が透を養子にした根拠の3つの黒子にまつわる転生の話をし、あなたは真っ赤な贋物だとなじる。慶子は、あなたがなれるのは陰気な相続人だけと透を喝破する。自尊心を激しく傷つけられた透は、本多から清顕の夢日記を借りて読んだ後、12月28日に夢日記を焼いて服毒自殺を図り、未遂に終わったものの失明してしまう。21歳の誕生日の数か月前のことだった。事情を知った本多は慶子と絶交した。
翌年の3月20日の21歳の誕生日を過ぎたが、透は大学をやめ、点字を学んで穏やかに暮らしていた。性格は一変し、狂女・絹江と結婚して彼女のなすがままに、頭に花を飾って天人五衰のようになっていた。やがて、絹江に妊娠の兆候が現れた。一方、本多は自分の死期を悟り、60年ぶりに奈良の月修寺へ、尼僧門跡となった聡子を訪ねるのであった。だが、門跡になった聡子は、清顕という人は知らないと言う。門跡と御附弟は本多を縁先に導く。夏の日ざかりのしんとしたを前にし、本多は何もないところへ来てしまったと感じる。