阪神淡路大震災から29年
1月17日から数日経ってからの投稿になってしまいましたが、阪神淡路大震災から29年、ですか。てことは当たり前ですけど、来年で30年……。
ますます、「どう覚えておくか」は重要になってきますね。
その日、その時
何か大変な事象が起きたその当日、「どこで」、「何をしていたか」という話題になると、〝9・11〟や〝3・11〟は言うまでもなく、たとえリアルタイムではなかったにしろ〝1・17〟の記憶もやっぱり鮮明です。
お正月の、3日競馬が終わった翌日の火曜日。休みが一日減る週明けで、地震発生の時刻は寝ていたのですが、何か虫が知らせたのか、休みなのに早朝から目が覚めて、テレビ画面を食い入るように見ることになりました。
なんだか不安をアオるような効果音が、不謹慎に流れる情報番組で、これは2カ月後に起きた地下鉄サリン事件の時もそうでした。その頃からテレビメディアは、おかしな方向に進んでいたんでしょうか……。
あ、それはさておき━。
兵庫の三木市に住んでいた両親と、その頃は西宮の会社の寮に居た弟と、どうにか連絡がついたのは翌日になってから。後になって聞いた話はナマナマしいもので、時が経つと忘れがちになるものですが、何かの拍子に話題に上がると、一人一人のエピソードが口をついて出てくるものです。
でも、ビルが倒壊して櫛の歯が抜けたみたいになっていた神戸の市街地の街並みもすっかり変わってますし、大阪ではまた万博やろうってんですから、本当に記憶の彼方になってしまうんでしょうか。
なんてことを思っていたらダメなんですねえ。いや本当に、この年末年始、徹底的に思い知らされました。
フィリピン沖と能登半島周辺と
一昨年になりますが、2022年の1月15日。トンガ沖の海底火山が大噴火しました。
第一報を知ったのは前日の夕方だったように思うのですが、当初は〝津波の心配はない〟みたいな報じられ方だったので、落ち着いていたのです。ところが夜になって様子が一変。あわててカミさんの実家の方へとりあえず連絡してみました。
何しろ紀伊半島南部の、徒歩1~2分で海に着ける(大袈裟に言えばもっと早く行くことができる)ところなもんですから、今回に限らず南の方で海の状態が急変しそうなことが起きると、どうしても敏感にならざるを得ないのです。
それと似たことが、昨年暮れの12月2日深夜に起こりました。
(こちらの記事↓でも触れました)
フィリピン沖の、震源が海底の地震。防災無線から津波注意報が発令されたのを聞き、夜通しテレビにかじりつく、という経験を久しぶりにしました。そして自分が居る場所を冷静に考えた時、いつ避難することになるかもわからない、という経験は初めてだったですかねえ。
実は一昨年のトンガ沖の時も、津波注意報が長時間解除されなかった記憶があって、今回もそうだったので、どうしてなんだろう?と思うところがありまして。
で、NHKの解説委員が、
「遠隔地の地震で起きる津波は予測が難しいため注意報や警報が長引くことになる」
と説明するのを黙って聞くばかり。つくづく自然の猛威というのは人智を超えますね。
そんなことを思って1カ月も経たないうちに、能登地震が起きました。何をどうしたら、今なお支援活動が遅れているのか理解できずにいるのですが……。
そのことと、同じ日の夜に起きた羽田空港の事故とセットで覚えておくことになるんでしょうか。まだまだ継続中ではありますけれど……。
科学的根拠?
それにしても1月17日に阪神淡路。13年前のニュージーランドの地震が確か2月下旬で、同年の東日本大震災が3月11日。昨年のフィリピン沖が12月2日で、今回の能登が1月1日……。発生した時期が近いですよねえ。
これは符丁云々ではなく、もちろん陰謀論などでもなく、どこかに科学的な根拠、みたいなものがあるんでしょうか?。
符丁と言えば
トンガ沖海底火山爆発の際のことで、思い出したことがひとつありまして……。
大噴火発生の翌日だかに、BS日テレで東日本大震災の原発事故関連のレポート番組があって、ずっと津波情報がワイプに映り込んでたんですね。
パッと見た時は、さすがに一瞬ビビリました。
「え?リアルタイムにまた何かあったのか?」
なんてことを連想しまして……。
思い出したことはもうひとつ。
いつも録画して、とばしとばしで見ているEテレの『100分de名著』という番組。その月に扱われたのは金子みすゞ特集でした。
で初回の詩が、
「こだまでしょうか、いいえ誰でも」
今回、こんなことまで思い出したのも、現在の、能登の志賀原発に関する続報をあまり目にしないからなんでしょうか。
(何事もないのであれば、それはそれで結構なんですが)
とにもかくにも、いろいろと悩ましく、不安が募るばかりの嫌な年明けになりましたかねえ……。
(例によって長々と失礼しました)