Vol.1012-1/2 R巻頭-124。気ままniフォトSketch<観光町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

真冬の宮池6景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-124 Orignal掲載日:Vol.221 (2013.11.10)

思うから工夫へ…。

我々は普段、「思う」という言葉をよく使っている。「思う」とは「考える」さらには「考えて、それを実行に移す」ことである。ところが、最近は「考える」という事が出来なくなっている人が増えている感じがする。

何かの問題で「どう思う?」の問いに対する答えが「よくないですね」という程度のものだ。よくないのなら、「ではどうすればいいのか、自分ならどうするのか」を具体的に示さなければ、考えている内に入らない。

 

それを考える、考えさせるためには、「工夫」という言葉から始めてみてはどうか。

「それについてどのように工夫すれば良くなると思うか」というように今より一歩突っ込んでみよう。

すると、やっと具体的な方法を考えるようになるだろう。で、あればきちんと考えるために、これからはもっと色々な場所で「工夫」という言葉を使っていこう。

ただ、今いう「思う」から「考える」のステップすらも、「思う」に過ぎない。

工夫はただ頭の中で考えるだけのものではなくて、実行へ繋がらなければならない。

日頃から簡単に「思う」という言葉を使うことで、それだけ言葉の持つ意味が軽くなってきているかも知れないが、幕末の儒学者である佐藤一斎の「言志四録(げんししろく)」の現代語訳を下記します。

心の役目とは思うということである。思うということは、道の実行について工夫を重ねることである。思えばそのことについてますますくわしく明らかになり、いよいよまじめに取り組むようになる。その真面目に取り組む方面からみて「行」といい、その精通する方面からみて「知」という。したがって、「知」も「行」も結局は「思」の一字に帰着する。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコース(標高74m地点)から見るだんご山3兄弟の上空。

香川県弁護士会館と奥に高松家庭裁判所・右奥にヨンデンビル(丸の内)の上空。

ことでん福田町第一踏切の上空(御坊町)

無量寿院の上空(御坊町)

高松興正寺別院(御坊町)の上空。

福善寺(御坊町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇家の鉢に咲く

キンギョソウビオラ

 

満開に成ったジャコバサボテン

プリムラマラコイデス

 

 

<akijii展-(568)

今報は、シールパズル-動物編2点目-雀で65シールです。

 

引き続き、Vol.1012-2/をご覧ください。