Vol.941-2/3 R巻頭-53。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:28<阪出墾田之碑> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.941-1/3に続けてご覧ください

 

▼一宮寺へ進む-1、前方に見えて来た

 

▼一宮寺-1、一宮寺へ進む-2

 

▼一宮寺-2、一宮寺へ進む-3(T交点を右折)

 

▼一宮寺へ進む-4(左に花ノ井出水)、花ノ井出水

 

▼一宮寺の入口が見えて来た、一宮寺-3

一宮寺は、四国霊場八十八ヶ所・第83番札所。義淵僧上によって創建され、その頃は大宝寺と号して法相宗に属していました。諸国に一宮が建てられた際、讃岐一の宮の別当寺となりました。その後、行基菩薩が堂塔を修復し、一宮寺に改めたとされています。のちの大同年間に弘法大師が逗留し、聖観世音菩薩を本尊とし宗派が真言宗に改められました。

(香川県HP)

 

▼一宮寺-4

 

▼一宮寺-5

 

▼一宮寺-6

 

▼一宮寺-7

 

▼一宮寺-8

 

▼一宮寺-9

 

▼一宮寺を後にして田村神社に寄る、田村神社へ進む(次の交点を左折)

 

 

▼田村神社の随神門へ進む、田村神社の随神門を潜る

 

▼田村神社-1

田村神社の一帯は湧水地であり、現在も当社の奥殿が深淵の上に建てられているように、水神信仰を基盤とした神社である。讃岐国内では名神大社三社の1つで、讃岐国の一宮として崇敬された。また、現在に伝わる神宝は「田村神社古神宝類」として国の重要文化財に指定されている。

▼田村神社-2

 

▼田村神社-3

 

▼田村神社の随神門に戻る、田村神社の随神門

 

▼田村神社の表参道口へ進む

 

▼田村神社の随神門を振り返る、田村神社の表参道口に着いた

 

▼田村神社の鳥居から随神門を見る、田村神社の表参道口から鳥居・随神門を見る

 

▼田村神社の御旅所の方向、高松東高校へ向かう

 

 

▼一宮町を西北に進む-1

 

▼交差点を直進、一宮町を西北に進む-2

 

▼一宮町を西北に進む-3、右方向に高松南高校が見えて来た

 

▼高松南高校の正門前に着いた、高松南高校の正門

 

▼正門の反対側(南)は高松南高校のグラウンド、南高のグラウンド沿いに寺井町へ進む-1

 

▼南高のグラウンド、南高のグラウンド沿いに寺井町へ進む-2(次のT交点を左折)

 

▼一宮町を東北方向に進む、次の三叉交点を右折

 

▼一宮町を南方向に進む-1、右奥に高松南校のグラウンドのフェンスが見える

 

▼一宮町を南方向に進む-2、琴電琴平線の一宮踏切を渡る

 

▼一宮踏切の右(西-一宮駅)方向、左(東-空港通り駅)方向

 

▼寺井町の県営一宮団地へ進む-1

 

▼寺井町の県営一宮団地へ進む-2、寺井町へ入った(次報Vol.942に続く)

 

 

引き続き、Vol.941-3/3をご覧ください。