Vol.995-2/3に続けてご覧ください。
<35.屋島神社> <撮影:2015.09.27 and 2017.05.28>
当神社は慶安四年(1651)初代高松藩主松平頼重公が、香川郡宮脇村の本門寿院境内に東照大神(徳川家康公)の神廟を建立し、崇敬したのにはじまる。以来、山王社として歴代藩主により奉斎されてきたが、文化元年(1804)当時の高松藩主第八代松平頼儀公は、この風光明媚な屋島山麓において社殿の造営に着手する。左甚五郎の六世、五代目の左利平忠能が、松平家の客分棟梁となり、文化十二年(1815)に完成した。その後、明治四年には冠獄神社と改め、さらに明治七年屋島神社と改称、同年県社に列せられる。明治十五年藩祖松平頼重公を合祀する。昭和四十八年二月不慮の火災にあい、本殿、拝殿等を全焼したが、辛うじて神門(正面上部には鳳凰、両側の柱には上り龍 下り龍の彫刻)は無事であった。社殿は翌年十一月に再建され現在に至っている。 (境内由緒書より)
<所在地・外観>
▼屋島神社-高松市屋島中町山畑140
▼屋島神社-高松松平氏の氏神、讃岐東照宮
ことでん屋島駅から東に行き、参道を北に進んだ石段の上に、旧県社の「屋島神社」がある。
讃岐東照宮ともいう。
<概 要><歴史遺産>
▼琴電屋島駅から東進、参道を北に進む
▼社号標、一の鳥居が見えてきた
1652(慶安4)年、初代高松藩主松平頼重が祖父徳川家康を祀るため、石清尾山麓の旧本門寿院克軍寺境内に山王社を建立したのが始まりである。
▼説明板、由緒・案内板
▼鳥居と石段、石段-1
1815(文化12)年、8代藩主頼儀(よりのり)の時、現在の地に日光廟を模したとする社殿を造営、屋島東照宮と称し、松平氏の氏神として代々の藩主に神奉された。
▼石段-2 、葵亭
▼石段-3
▼石段-4、注連柱
▼石段-5
▼神庫、石段-6
▼石段-7
▼石段-8
その後、1874(明治7)年に屋島神社と改め、1882年には初代藩主頼重を合祀した。
1973(昭和48)年に失火で社殿を全焼し、現在の建物は翌年に再建されたものである。
▼神門、葵紋
▼神門の彫刻-1
▼神門の彫刻-2
▼築塀-東側、西側
▼拝殿、拝殿と神饌殿
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀


































