Vol.991-3/3 R巻頭-103。歴史(観て歩き)レポ-県都編:19<由良山と清水神社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.991-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:19<由良山と水神社

29.由良山と清水神社 <撮影:2012.04.15 and 2018.06.22>

由良山(ゆらやま)は標高:120.29m、高松市の郊外、高松平野南部に孤立する小山で、採石によって特に山の北側が山頂付近まで大きく削られることによって露出した岩盤が特徴的な景観を成す。山名の由来は、古の昔、大地震が起こった時この山だけは揺れなかったため「ゆらぬ山」と呼ばれ、それが転化して「由良山」になったという説がある。周囲を人里に囲まれている里山で、室町時代に山頂に由良山城が築城され、江戸時代からは由良石と呼ばれる良質な石材が採掘され、戦時中には比較的大規模な防空壕が掘削されるなど、古くから人との関わりが深い山であった。地質は柱状節理が発達し、第三紀に噴出した岩脈状の黒雲母安山岩からなる岩山である。市街地に近いみどりとして香川のみどり百選に登録されている。(Wikipediaより)

 

清水神社は由良山を背にした社である。祭神は景行(けいこう)天皇の皇子の神櫛王(かんぐしおう)で、社伝では、祭神の後孫が甕(かめ)12口の神酒を奉奠(ほうてん)したとされる。清水神社の別当寺の自性院の記録によれば、承和8年(841)は大旱魃(かんばつ)で、国司の命により空海の弟の真雅(しんが)によって雨乞いを行うことになった。雨乞い神事の際に神櫛王ゆかりの甕を使って祈ったところ大成功したといわれる。

その後、天正年間(1573~92)に長宗我部元親の兵火にあい、神櫛王ゆかりの者が酒を醸していた甕12個のうち3個を残して社殿は焼失した。残った3個の甕を里人たちは大切にお守りしていたが、今度は風水害にあって1個を破損してしまった。残った2個の甕を本殿南側の甕塚に納め、再建した清水神社の本殿床下に破損した甕を埋めた。江戸時代には高松藩の社寺で祈祷をしても雨が降らないときに清水神社で雨乞いをしたとされる。雨乞いの際に、上御盥(みたらい)、中御盥、下御盥から神水を取り、甕を洗えば必ず雨を得たが、甕を洗ったものは必ず亡くなるという伝承がある。平成24年の神事に際し甕を発掘したところ、2区画に分かれた竪穴の石室を検出し、それぞれから甕が出土した。いずれも7世紀の須恵器で、復元できた南側の甕は器高107.6cm、胴部最大径95cmを測る。甕は神事後再び甕塚に埋納されている。

降雨量の少ない香川県ならではの特殊な雨乞い行事を伝える文化財である。 (高松市HP)

 

<所在地・外観>

▼由良山と清水神社-高松市由良町/由良町1050

▼由良山と清水神社-由良石の産地、雨乞いの甕(かめ)洗い神事

 

 

県道156号線の由良バス停から南約400mの所に、清水神社と由良山の登り口がある。

 

▼由良山-南東からの全景、由良山と清水神社への登り口

 

 

由良山」はビュート地形の典型で、山頂から麓まで全山が黒雲母や石英・長石の結晶をもった安山岩からなっていて、見事に柱状節理もみられる。

 

<概 要><歴史遺産>

由良石の産地としても知られ、石灯籠や土台石・石垣・庭石などに幅広く利用され、その石質が風化すると、淡黄色の縞模様を示し、その事で珍重され、皇居の宮殿東庭(一般参賀会場)の敷石にも使用されている。

 

▼由良山-登山口、由良相撲跡

 

▼由良山-石切場跡と柱状節理 、柱状節理

 

▼由良山-石切場跡の睡蓮の池

 

▼由良山-由良石之歴史の説明板、由良石の貌(かお)

▼由良山-アートの丘、川柳さざんかの発表板

 

▼由良山-川柳の発表掲示板、墨彩画の発表板

 

▼由良山-絵の手紙の発表板、投句コーナー

 

▼由良山-西登山口へ300mの位置、由良石

 

▼由良山-由良山防空壕跡、中腹から見た石切場跡

▼由良山-西登山口に到着、登山道

 

▼由良山-山頂が間近、由良山の山頂広場

 

▼由良山-三等三角点、祠と石仏(龍王社と石鎚社)

 

▼由良山-山頂から北方面の標示板(高松市街地から瀬戸内海の眺望) 、高松市街地の風景

 

由良山の東麓には「清水神社」が有り、「由良の甕(かめ)洗い」と呼ばれる雨乞い神事(甕洗い神事)が伝えられている。

 

▼清水神社-全景、境内

 

▼清水神社-社標碑、支える狛犬

 

▼清水神社-社号標、案内図

 

▼清水神社-拝殿、本殿

 

▼清水神社-拝殿の酒呑童子の瓦-1

 

▼清水神社-拝殿の酒呑童子の瓦-2

 

▼清水神社-手洗い石、玉取りの竜

 

▼清水神社-由良大師堂

 

▼清水神社-石佛

 

 

元々、讃岐の国造りに治績の有った神櫛王の子孫が、神酒(みき)をかもす器として使っていた甕(かめ)が12口あったが、長宗我部軍による元亀・天正の兵火で3口だけが残り、そのうち1口を本殿の床下に埋め、2口は拝殿の南側に埋めて塚とし、注連縄で囲んで「甕塚(かめづか)」と呼ぶようになった。

 

▼清水神社-甕塚と上御盥、甕塚と上御盥の説明板

 

▼清水神社-雨乞神事碑、開運碑

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀