Vol.968-4/4 R巻頭-80。歴史(観て歩き)レポ-西讃編:13<本門寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.968-3/4に続けてご覧ください。

 

JR詫間駅から西へ行き詫間大橋西詰の三差交差点を左折し、県道21・23号線を南東に約3.5km下ると、高瀬町との境付近の宗吉に、藤原京(現、奈良県橿原市)の瓦を製作したことで知られる「宗吉瓦窯(がよう)跡」がある。国内最多の23基の窯跡が、整然と並んでいる。

 

▼宗吉瓦窯跡-1

 

▼宗吉瓦窯跡-2

 

 

釜跡はA~C群に分かれ、最も古い時期に造られたと見られるC群の2基の内、宗吉17号窯は床面がほぼ完全な状態で残っている。窯の全長13m・最大幅2m・最大高1.4mで、瓦専用の登り窯としては国内最大級の規模をもち、妙音寺(豊中町上高野)用の大量の瓦を一度に生産しようとしたものと考えられる。出土した単弁八葉(たんべんはちよう)蓮華文軒丸瓦は、「妙音寺出土古瓦」(県文化)と文様・胎土が一致した。

 

▼C群窯跡

 

▼宗吉17号

 

▼宗吉かわらの里展示館-展示瓦、妙音寺出土古瓦(web引用-水彩画風変換)

 

 

A・B群で出土した、重弧文軒平瓦・凸面布目平瓦は、660~670年頃に創建された、飛鳥の四大寺に数えられる大寺院川原寺(かわらでら)(現、奈良県明日香村)の出土瓦と製作技法・焼成が酷似し、川原寺の瓦を焼いた工人が技術を伝えたものと考えられる。

 

▼A群窯跡

 

▼B群窯跡

 

 

当瓦窯では、まずA・B群で宝幢寺(ほうどうじ)(現、丸亀市)の瓦を焼くようになり、その後、C群で藤原京の瓦を焼いたものと考えられる。藤原京から、平城京に遷都した後、吉宗窯は急速に衰えていった。

吉宗瓦窯跡は国の史跡に指定され、史跡公園として整備された。

元の斜面に16号窯を実物大で復元し、他の釜は植裁でその規模を示している。

 

▼史跡公園-1

 

▼史跡公園-2

 

▼16号窯

 

▼復元した実物大の16号窯

 

 

また2009(平成21)年春、公園内に「吉宗かわらの里展示館」が開館し、関係諸瓦の実物などが系統的に展示され、この瓦窯と藤原京との関係などが解り易く解説されている。

 

▼吉宗かわらの里展示館-1

 

▼吉宗かわらの里展示館-2

 

▼吉宗かわらの里展示館-3

 

▼吉宗かわらの里展示館-4

 

▼吉宗かわらの里展示館-5

 

 

▼藤原宮の再現イメージ-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼藤原宮の再現イメージ-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼藤原宮の再現イメージ-3(web引用-水彩画風変換)

 

▼藤原宮に供給された「複弁八葉蓮華文軒丸瓦」

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀