Vol.968-3/4 R巻頭-80。歴史(観て歩き)レポ-西讃編:13<本門寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.968-2/4に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-西讃:13<本門寺>

21.本門寺 <撮影:2016.06.08 and 2018.04.17>

鎌倉時代の正中2年(1325)に地頭秋山泰忠が建立し、日仙上人を招いて開いた日蓮正宗の本山。

境内の開山堂は日仙上人を祀ったもので、元禄10年(1697)に建造され、ほぼ当時の姿を残しています。

現在の境内には、開山堂(町指定有形文化財)をはじめ県保存木の楠や本堂・精霊殿・西門などが立ち並び、歴史ある重厚な佇まいをみせています。毎年11月22日~25日の4日間、境内で開かれる大坊市は別名「くいもん市」とも言われ、江戸時代から続く初冬の風物詩として市民に親しまれています。   (三豊市HP)

 

<所在地・外観>

▼本門寺(ほんもんじ)-三豊市三野町下高瀬1916

▼本門寺-大坊市で賑わう宗吉瓦窯跡-近くには藤原京の瓦を焼いた窯跡

 

 

JRみの駅の西南約300mに、高瀬大坊の名で知られる「本門寺」(日蓮正宗)がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼本門寺-標柱、山門

 

▼本門寺-案内図、境内

 

▼本門寺-本堂、開山堂

 

▼本門寺-客殿、大坊

 

▼本門寺-鐘楼

 

▼本門寺-妙鍾庵、大楠

 

▼本門寺-西門入口、法善坊

 

▼本門寺-泉要坊、奥之坊

 

▼本門寺-西門、広布松

 

▼本門寺-山門、外壁

 

鎌倉時代の弘安年間(1278~88)に、甲斐国(現、山梨県)から讃岐に移住したと伝えられる武士秋山氏ゆかりの寺で、初めは那珂郡に法華堂(丸亀市田村町)を建立した。

1325(正中2)年に秋山泰忠(やすただ)が高瀬郷に御堂(現在の中之坊)を建立し、日蓮宗富士門流の祖で大石寺(たいせきじ)(静岡県富士宮市)開山の日興上人の弟子日仙上人を招き、寺は発展した。

日仙上人の墓は、中之坊にある。

 

11月22~25日は日蓮上人の御会式(おえしき)で、この期間には本門寺境内で大坊市が開かれる。

農機具・金物・瀬戸物・植木などの店が立ち並び、多くの人で賑わう。

 

▼大坊市-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼大坊市-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼大坊市-3-島田新盛堂のドーナツ(揚げたて食べられるのはこの時だけ) (web引用-水彩画風変換)

 

▼大坊市-4(web引用-水彩画風変換)

 

▼大坊市-5-張子虎、御正当(web引用-水彩画風変換)

 

 

秋山泰忠およびその子孫の関係文書が残る「秋山家文書」(県文化)は、讃岐の中世史を知る上で、欠かす事の出来ない史料である。

 

▼秋山家文書-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼秋山家文書-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼秋山家文書-3(web引用-水彩画風変換)

 

 

<関連遺産>

本門寺から西南方向2km程の老人福祉センターには、「西行上人歌碑」がある。

西行が1167(仁安2)年、四国行脚の折に、三野津(現、三野町吉津)に立ち寄った際に詠んだ「しきわたす月乃氷をうたかひてひびのてまはる味のむら島」という歌が刻まれている。

 

▼三野町公民館吉津分館(老人福祉センター)、西行上人歌碑

 

 

吉津には、「吉津夫婦獅子舞」(県民俗)が伝えられる。

獅子舞は、狛犬の舞としてわが国に伝来し、種々の変遷を経て、現在に受け継がれた。

毎年10月第1日曜日の秋祭りに、五穀豊穣を祈って奉納される。

雄雌獅子の2頭が、太鼓に合わせて戯れ睦み合いながら獅子の一生を共演すると云うものである。

 

▼吉津夫婦獅子舞-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼吉津夫婦獅子舞-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼吉津夫婦獅子舞-3(web引用-水彩画風変換)

 

 

引き続き、Vol.968-4/4をご覧ください。