Vol.964-3/3 R巻頭-76。歴史(観て歩き)レポ-西讃編:09<本山寺・妙音寺-他1> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.964-2/3に続けてご覧ください。

 

14.七宝山宝積院妙音寺  <撮影:2015.10.23 and 2017.10.17>

地元では妙音寺(みょうおんじ)より宝積院(ほうしゃくいん)と呼んだ方が解り易い真言宗の寺院である。

現在の寺院から当時を偲ぶには少し無理かあるが、今だに寺院付近から古瓦がたくさん出土している。
十一葉素弁蓮花文軒丸瓦、単弁蓮花文方形鐘先瓦が代表的であるが、この二種以外に山田寺様式の八葉単弁蓮花文軒丸瓦、四重孤文軒平瓦、単弁蓮花文方形隅木先瓦などがある。

丈六仏である本尊は、像高3.32m、桧材寄木造、定印を結び蓮華三重座(後期に補修)に結跏跌座する。

頭部には小さな螺髪を規則正しく並べて彫り出し目は切れ長の彫眼で伏目がち、上唇に細い口ひげを描く胸幅は広いが薄く、膝高も低い。彫りの浅い整った衣文や、全体に豊満な肉づきなどから、定朝様式の阿弥陀坐像である。寺伝によると河内の春日部の仏師が同地の平岡明神に祈願して彫ったといわれている。平安末期の作であろう。仏師印覚の作った京都法金剛院の阿泳陀像とよく似ているといわれる。江戸時代の正徳四年(1714年)に京都の仏師の手によって修理が行われ、(このとき木札に重要な事項を毛筆で書き、仏像の胴の内部に釘で打ちつけてあった。)さらに、昭和26年8月から9月にかけて再修理が行われた。 (三豊市HP抜粋)   

                                                      

 <所在地・外観> 

妙音寺-三豊市豊中町上高野1986

▼妙音寺-讃岐最古の寺、白鳳期の瓦が出土

 

 

JR高瀬駅から三豊市コミバスで15分、バス停「下原」から徒歩で5分ほどの所にある「七宝山宝積院妙音寺」(単立)は、讃岐国で最古と推定される寺院である。

 

<概 要><歴史遺産>

▼妙音寺-入口の看板塔、山門(仁王門)

 

▼妙音寺-仁王:阿形像、吽形像

 

▼妙音寺-仁王門から参道、参道と中門

 

▼妙音寺-中門から本堂、文化財の説明板

 

▼妙音寺-本堂、奥殿

 

▼妙音寺-聖観音立像、地蔵尊

 

▼妙音寺-境内、鐘楼

 

妙音-境内から中門・仁王門の方向、中門と仁王門

 

▼妙音寺-中門から仁王門を見る、仁王門とボロボロの土壁

 

 

妙音寺から出土した十一葉素弁蓮華文の「軒丸瓦」(妙音寺出土瓦として県文化)は、高句麗(こうくり)様式と呼ばれ、飛鳥の豊浦寺(とゆらでら)にもみられる瓦で、7世紀中頃の白鳳期のものと思われる。

 

▼十一葉素弁蓮華文の軒丸瓦、八葉素弁蓮華文軒丸瓦(web引用-水彩画風変換)

 

 

本尊は、国指定重要文化財の「木造阿弥陀如来坐像」で、平安時代後期の秀作で、定朝(じようちょう)様式のヒノキの寄木造(よせぎつくり)である。戦国時代、長宗我部元親に攻められた時に、堂搭・寺宝などを焼失したが、本尊だけは、霊験をあらわし、大雨を降らして難を免れたと伝えられる。

 

▼木造阿弥陀如来坐像(web引用-水彩画風変換)

 

 

<関連遺産>

妙音寺から国道11号線を1.4km北上すると大津池の東側に、「宇賀神社」がある。

 

▼宇賀神社-全景、西正面入口

 

▼宇賀神社-鳥居と社号標、石段と随神門

 

▼宇賀神社-随身門と境内、由緒

 

▼宇賀神社-拝殿

▼宇賀神社-本殿、大きな磐座(いわくら)

 

▼宇賀神社-宝殿、神輿庫

 

▼宇賀神社-どぶ酒の由来碑、酒樽

 

▼宇賀神社-御神酒殿、御旅所

 

 

宇賀神社の春のももて祭りと秋の例祭では、「古式醸造用具」(県民俗)で醸造された「どぶろく」を、口開けの儀式後に神前に供えて神事が行われ、その後、氏子や参拝者らに振る舞われる。

 

▼どぶろく祭り-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼どぶろく祭り-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼どぶろく祭り-3(web引用-水彩画風変換)

 

 

秋に「どぶろく」が振る舞われるのは約300年前からと云われ、樽で熟成した乳白色の「どぶろく」を石臼(いしうす)で挽いて仕上げ、氏子の中の杜司(とうじ)に秘伝が受け継がれている。

 

▼どぶろく祭り-4(web引用-水彩画風変換)

 

▼どぶろく祭り-5(web引用-水彩画風変換)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

15.延命院 <撮影:13.09.21 and 19.05.30>

讃州七福の寺 延命院(えんめいいん)。小高い丘の上に建つ延命院は、弘法大師の開基とされる寺で、世の中のあらゆる障害を退散させる福神「毘沙門天」をお祀りしています。また、境内には蝋梅の木が植えられており、花の時期(1月下旬ごろ)には清らかな香りが漂います。菅原道真公が奉納されたといわれる「一の字」をなぞると、願い事がかなうといわれています。延命院付近一帯を治めた富豪の墓「延命古墳」。   (三豊市HP)

 

<所在地・外観>

延命院-三豊市豊中町上高野858-遠州七福之寺、境内に円墳、近くに平安時代後期の集落跡

 

JR本山駅の東南約2.6km、高松自動車道と県道226号線とのほぼ中間にある「延命院」(真言宗)は、讃州七福之寺(毘沙門天)として知られている。

 

<概 要><歴史遺産>

▼延命院-1

 

▼延命院-2

 

▼延命院-3

 

▼延命院-4

 

▼延命院-「一の字」

「一の字」は菅原道真が奉納されたと言われ、一の字をなぞると願い事が叶うと云われている。

▼延命院-蝋梅(web引用-水彩画風変換)、歌碑

 

 

延命古墳は、延命院境内にある円墳で、4m余り盛り土がなされ、広壮な石室をもち、天井に使われている3枚の巨大な岩は、被葬者の高い地位を物語っている。

 

▼延命古墳-1

 

▼延命古墳-2

 

▼延命古墳-3

 

 

<関連遺産>

延命院の北約400mの八反地(はったんじ)地区からは、「延命遺跡」と呼ばれる平安時代後期から鎌倉時代にかけての集落跡が発見され、大木を刳り抜いて造られた井戸が見つかった。

出土品のうち、中国産の磁器は、香川県立ミュージアム(高松市玉藻町)で展示されている。

 

▼八反地地区、延命遺跡

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀