Vol.958-2/3 R巻頭-70。歴史(観て歩き)レポ-西讃編:03<豊浜八幡神社-他2> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.958-1/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-西讃:03大平正芳記念館・豊浜八幡神社・温恭合田先生之墓

<05.大平正芳記念館>  <撮影:2016.05.27 and 2021.10.18>

第68・69代内閣総理大臣、大平正芳のミュージアムです。 

大平は1910年に香川県三豊郡和田村(現観音寺市)で生まれ、池田勇人の秘書官を経て、政治家となりました。田中角栄内閣では外相として日中国交正常化という歴史的大事業を実現させ、その後は田中・三木両内閣の蔵相として財政運営に挑みました。1978年に第68代内閣総理大臣に就任。

田園都市国家、環太平洋連携などのビジョンを打ち出すとともに行財政改革に取り組んで「小さな政府」の実現につとめました。1979年11月に第2次大平内閣が成立。しかしながら、1980年5月に内閣不信任案が可決され、解散総選挙となりました。1980年6月12日衆参同日選挙中に享年70歳で死去。                                 (観音寺市HP)

 

<所在地・外観>

▼(新)大平正芳記念館の位置図-観音寺市有明町3-36

▼(新)大平正芳記念館-日中国交正常化・友好につくした郷土の宰相の足跡

 

<概 要><歴史遺産>

JR観音寺駅から県道49号線を東へ行き、明治橋(一の谷川)を渡って左折し、ゆるやかな坂をくだって直ぐ右側に「(旧)大平正芳記念館」が有った。当館は、1985年に設立された大平正芳記念財団が、全身の大平文庫を改装・充実させ、観音寺市出身の政治家大平正芳の事跡を映像や資料などで回顧できるようにした展示公開施設だった。

 

▼若き日の大平正芳、大平正芳のイラスト(web引用-水彩画風変換)

 

 

▼(旧)大平正芳記念館の外観–観音寺市坂本町7-2-16、記念館の内部(web引用-水彩画風変換)

 

 

大平正芳愛用の遺品・遺墨・著書・蔵書・写真、津島寿一から贈られた貴重な資料類、各国首脳から贈られた品々などが展示されていた。2階には、郷里帰省の折、起居した和室がそのまま保存・公開されていた。

 

▼(旧)大平正芳記念館の内部(起居した和室)(web引用-水彩画風変換)

 

 

大平正芳は1910(明治43)年、三豊郡和田村(現、観音寺市豊浜町和田)の農家に生まれ、旧制三豊中学(現、県立観音寺一高校)、高松高等商業学校(現、香川大学)、東京商科大学(現、一橋大学)などで苦学して、故郷の先輩で当時大蔵次官津島寿一の勧めで大蔵省(現、財務省)に入った。

大蔵省時代に池田勇人の知遇を得た事から、1949(昭和24)年、第2次吉田茂内閣の大蔵大臣に就任した池田に求められ、秘書官を務めた。

 

▼池田勇人、大平正芳(web引用)

 

 

1952年には、自由党から衆議院議員に立候補して当選、政界に進出した。

1960年、池田内閣誕生とともに内閣官房長官として入閣し、高度経済成長政策を支えた。

以後、外務大臣や通商産業大臣(現、経済産業大臣)などの要職を歴任し、田中角栄内閣の外務大臣として、日中国交正常化に取り組み、1972年に日中共同声明を実現、その後の日中関係にも重要な役割を果たした。

 

▼中国交正常化の記事(web引用)

 

 

第一次石油危機下の大蔵大臣や自民党幹事長を経て、1978年、内閣総理大臣となり、田園都市国家構想・環太平洋連帯構想など、21世紀を展望するすぐれたビジョンを提示したが、1980年の衆参同日選挙遊説後、体調悪化のため入院し、6月12日に急逝した。

 

▼(旧)大平正芳記念館閉館の記事(web引用)

▼(新)記念館開設の記事(web引用)

 

▼(新)大平正芳記念館の外観

▼(新)大平正芳記念館の館内展示(web引用-水彩画風変換)

1.大平の生涯を、「大平正芳を育んだ郷土と時代」「大平正芳の戦前と戦後-大蔵官僚から政治家へ」「政治家大平正芳-保守本流を行く」「田中内閣外相として-日中国交正常化」「大平政治の展開-首相として」と題して、さまざまな写真や資料などで政治家としての足跡を紹介している。

2.大平が書き残した色紙が多数展示されている。また、文人政治家と知られている大平の多くの著作やDVDを自由に手に取り、見ることができる。このコーナーには当時、着用していた礼服や各国から送られた記念品も展示されている。大平や大平の家族が外交時に使用していたパスポートは必見である。

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

<06.豊浜八幡神社 <撮影:2015.03.31 and 2016.05.31>

708年(和同元年)に創祀された「讃岐十五社」の十五番目の社。秋季例大祭(豊浜ちょうさ祭)では「ちょうさ」が集合する場所となる。境内の安永燈籠は、安永2年に和田浜の藤村喜八郎と和田村庄屋の宮武幸右衛門唯真が、私財を投じて和田浜築港を完成させたその功績を伝えるために建立され、約200年間灯台としての役を担ったもの。現在は港改修の折りにこの豊浜神社へ移設復元されている。また、神社の森のクスの木、松、ホルトノキ群などが香川の保存木となっており、明治の頃には宮島の厳島神社へ本柱の大木1本を寄進した「厳島神社大鳥居主柱楠出処の地」である。 (観音寺市観光協会HP)                

 

<所在地・外観>

豊浜八幡神社-観音寺市豊浜町和田浜1577-1

▼豊浜八幡神社-豪華絢爛たる「ちょうさ」のまつり

 

 

JR豊浜駅前の道の突き当りを左(南)に折れ、最初の交差点を右(西)へ進むと、国道11号線と交錯する。

 

▼JR豊浜駅前に立つakijii、県道244号を北上-1

 

 

この国道を左折してしばらく南に進むと観音寺市役所豊浜支所があるが、この豊浜支所前南北約1.5kmは、当地出身の68代内閣総理大臣大平正芳の遺徳を偲んで大平記念通りと呼ばれている。

 

▼交差点を右折、国道11号線との交錯を左折

 

▼観音寺市豊浜支所、大平記念通り

 

 

豊浜支所前、記念通りを挟んで東側の丘にクスの木、松、ホルトノキ群などが生い茂る森があり、「豊浜八幡神社」が鎮座する。

 

<概 要><歴史遺産>

▼豊浜八幡神社(西参道)

 

 

豊浜八幡神社は708(和銅元)年に、姫郷・和田郷など15カ村(現、観音寺市豊浜町・大野原町)の鎮守として祀られたのが始まりとされる。1583(天正11)年に長宗我部元親の兵によって焼かれ、のち、再建や改築がなされて現在に至っている。

かつては讃岐15社中の13番社として、域内に82の末社があったという。

 

▼豊浜八幡神社-参道入口、鳥居

 

▼豊浜八幡神社-境内

 

▼豊浜八幡神社-拝殿、本殿

 

▼豊浜八幡神社-香川県の保存木

 

 

境内西参道入口には、江戸時代の1773(安永2)年に藤村喜八郎の尽力により和田浜築港が完成した事を記念して、1792(寛政4)年に和田浜港岸に造られた安永灯篭が復元されている。

また拝殿への上り口には、微笑を湛えた大平正芳の銅像が立っている。

 

▼豊浜八幡神社-安永灯篭、大平正芳の銅像

▼豊浜八幡神社-厳島神社大鳥居主柱楠出処の地碑、力石

 

 

豊浜八幡神社は、ちょうさ祭りでも有名である。

高さ5m・重さ2t、金糸・銀糸の刺繍に飾られた豪華絢爛たる「ちょうさ」と呼ばれる太鼓台を曳いて、揃いの法被を身に付けた100人ばかりの若衆が、「ヨーイサジャ、ヨイヨイサージャ」の掛け声に合わせて町内を練る。その数は二十数台。「ちょうさーじゃドンデンドン」と打ち鳴らす太鼓の音と掛け声が、実りの青空にこだまし、秋の夜長に響き渡る。1日目は八幡神社宮参りをし、2日目は和田地区の御旅所に、3日目は一の宮の広場に出揃い、そこから町内を練り歩き、八幡神社へ至る。

この3日間の祭礼には、多くの見物客が詰めかけ、町は祭り一色となる。

 

▼ちょうさ祭り-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼ちょうさ祭り-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼ちょうさ祭り-3(web引用-水彩画風変換)

 

 

豊浜八幡神社南西の旧和田村は、江戸時代から綿の産地として知られ、今も国道11号線に沿って製綿・ふとん製造業者が軒を並べている。

豊浜町姫浜(ひめはま)には、1993(平成5)年に開館したちょうさ会館があり、ちょうさの実物とともに、300インチ(横6m・縦4.6m)の巨大スクリーンに映し出される大迫力の映像と大音響にちょうさ祭りを体感する事ができる。

 

▼豊浜町姫浜

 

▼ちょうさ会館-外観

 

▼ちょうさ会館-会館の内部、第1展示室(歴史)(web引用-水彩画風変換)

 

▼ちょうさ会館-第2展示室(体験シアター)、第3展示室(ギャラリー)(web引用-水彩画風変換)

 

 

ちょうさ会館に隣接して「豊浜町郷土資料館」があり、豊浜町の歴史文化・産業、そして農業と生活文化を映像や実物資料などにより紹介・展示している。糸紡ぎの体験コーナーもある。

 

▼豊浜町郷土資料館(web引用-水彩画風変換)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.958-3/3をご覧ください。