Vol.955-6/6 R巻頭-67。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:42<法道寺・長柄ダム他2> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.955-5/6に続けてご覧ください。

 

<69.永富池 <撮影:2018.04.13>

「全くこの錆田(さびた)の池は凹んでいて池を造るのに適しているのだ。」(永富池告成碑より抜粋)

明和年間(1764~1772年)、幕藩体制の厳しい中で、錆田の凹地の地形に目をつけた高尾知用(たかおともちか)が高松藩に築造許可を願い出て錆田池(さびたいけ)(後に永富池)を築堤した。

錆田池の名は、付近から流れ込む水が鉄分を含んでいるため、田んぼが赤錆のようになることから命名されたと伝えられている。現在も堤防の裏面に赤錆色が各所に見られる。

安永元年(1772年)の秋に大水により錆田池の堤防が決壊し、幾度も藩へ改修を願い出たが、藩財政も行き詰まっていることから聞き入れてもらえず、文政12年(1829年)にやっと高松藩執政の寛政典を最高責任者に復旧工事が始められた。延べ 99,800人もの人手を投入し、天保2年(1831年)に48間(86.4m)の堤防が完成し、池の名も「錆田池」から「永富池(ながとみいけ)」に改められた。

平成6~9 年(1994~1997年)には、国営総合農地防災事業で、堤体の漏水防止のためにグラウト工が施され、今は懸念であった堤防法尻の漏水もなくなり、受益地では土地利用型農業だけでなく施設園芸農業も取り組まれており、イチゴ、キュウリ等が栽培されている。                               (香川県HP)

 

<所在地・外観>

永富池-綾歌郡綾川町枌所東

▼永富池-江戸時代の修築の様子がわかる碑文

 

 

長柄ダムの南東約2.5kmに、「永富池」がある。

 

<概 要>

県道39号線を枌所小学校から約1km南、貞重川を渡った所で左折し、貞重川に沿って南方向に約1.3km行くと永富池の近くに出る。

私は綾川町営バスを利用して、ことでん陶駅前で乗車し、バス停「夫婦神」で降車、県道39号線を少し南へ進み左折して永富池へ向かった。

 

▼綾川町営バス「陶駅前バス停」、「夫婦神バス停」で下車

 

▼県道39号線を南西へ進み夫婦橋を渡る、県道39号線を左折

▼貞重川沿いの山道を南方向へ進む-1

 

▼貞重川沿いの山道を南方向へ進む-2

 

▼貞重川沿いの山道を南方向へ進む-3

 

▼貞重川沿いの山道を南方向へ進む-4

 

▼貞重川沿いの山道を南方向へ進む-5

 

▼貞重川沿いの山道を南方向へ進む-6、永富池の堤体が見えてきた

 

▼永富池-洪水(余水)吐放水路口、永富池に着いた

 

 

<歴史遺産>

▼永富池-掲示板と記念碑、改修記念碑

 

▼永富池-注意掲示板、堤体を上る-1

 

▼永富池-堤体を上る-2

 

▼永富池-堤は近い、堤に到達

 

▼堤から見る永富池

 

 

永富(貞重)神社を堤防の南の山上に祀り、年に二回神事を行い永く富み栄えるよう祈念していると云う。

 

▼貞重(永富)神社へ-1

 

▼貞重神社へ-2、神社に着いた

 

▼貞重神社-1

 

▼貞重神社-2

 

 

▼貞重神社から下りる-1

 

▼永富池の堤に降りた、永富池の堤体の左(西)方向

 

▼永富池の堤から左(西)側の下方向を覗く、堤体の右(東)方向

 

 

池畔には永富池告成碑(こくせいひ)が立ち、1829~31(文政12~天保2)年の池修理の様子を知る事が出来る。

 

▼永富池告成碑

 

 

1971(昭和46)~73年に全面改修工事、1994(平成6)~97年に補強工事が行われ、現在では綾川町の田を潤し、上水道の水源としても大事な池となっている。

 

▼永富池-放水路、永富池の管理所

 

▼管理所から見る永富池-1

 

▼管理所から見る永富池-2

 

▼永富池の堤から降りる-1

 

▼永富池の堤から降りる-2、永富池の堤から降りた

 

 

余った水は、貞重川を流れ下り、栗原橋の所で長柄ダムを経て流れてきた綾川本流に合流する。

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

<番 外>

NHK「にっぽん縦断 こころ旅」 放送日2017年11月08日(水)

香川にたくさんあるため池のひとつ「永富池」。お手紙には、ため池への堤を登るため、足腰の弱ったお父さんをおんぶしたら、予想以上の軽さに驚いたと書いてありました。手紙を読んだ正平さんは石川啄木の短歌を思い出しますが、林さんが女性であることに驚きます。高松空港から走り、たどり着いた堤は想像以上に高く「ここをお父さんを担いで上がったとは・・・」と感心しきりの正平さん。登りきった先には、満々と水をたたえた永富池が静かに広がっていました。

 

<手紙>父との忘れられない思い出の場所

正平さん、みなさん、いつも楽しみにみています。

私のこころの風景は、今は亡き父と行った綾川町粉所(そぎしよ)の「永富池(ながとみいけ)」です。

晩年は、体調を崩しがちだった父が「小さいころに遊んでいた永富池にもう一度行ってみたい」と突然言い出しました。もう、何十年も前の記憶のはずなのに、父は助手席で「右・左」と田舎道を迷うことなく池までたどり着きました。

永富池は、水不足の讃岐にたくさん作られたため池のひとつで、土で盛り上げた堤が高く、湖面までは道からずいぶん登らないとだめでした。私は、足腰の弱った小柄な父をおんぶして、その予想以上の軽さに驚きながらも、池のふちまでハアハアと息を切らせながら登りました。「ついたー」と思って顔をあげると、目の前に深い青色の美しい湖面がぱっと開けていました。二人ですわって、なにも言わずにずーっといたことを昨日のことのように思い出します。下手で多くを語らない父でしたが、私か進路に悩んでいた時、勉強机にすわっていた私の後ろにそっとやってきて「大丈夫、大丈夫」と頭をなでてくれました。親に心配はかけられないなと、立ち直ったことを思い出します。

正平さん、私と父の思い出の「永富池」をみていただけるとうれしいです。

香川県高松市 林 充代(はやし みつよ)58歳

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀