Vol.954-1/3 R巻頭-66。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:41<羽床城跡> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

北西端の遊歩道のモニュメント越しに見る宮池の水面とだんご山3兄弟。

宮池の水上展望台と蕾が綻び始めた遊歩道のソメイヨシノ桜。

遊歩道の西側から見る宮池のパノラマ景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-066  Orignal掲載日:Vol.098 (2012.02.15)

「長」の責任は三つある。

 

「長」のつく立場の人がなすべき事、それは三つの役割である。

責任者である以上、自分のグループの仕事をやり遂げることが一番目、当たり前の事だ。

二番目は、部下を育てるという責任で、それが出来ないと、今より大きな仕事の遂行が適わない。新しい仕事を創造していくという重要な仕事が、三番目の責任となる。

 

今まで自分が持っていた仕事の、百のうち20を部下に任せれば、自分の仕事に20の時間が出来る。その20で、責任者は新しい仕事を創造しなければならない。

責任者一人ひとりがそのように新しい仕事を創り出すとき、会社全体が大きく発展をする。

この三つの責任を果たしてこそ、「長」という肩書きに恥じない仕事をしていると言える。

自分の仕事を仕上げ、成果を挙げるだけでは責任者とは言えない。

 

責任者の責任者たる所以は、「仕事をやり遂げること」、「部下を育てること」、「新しい仕事を創り出すこと」の三つであることを、明確に意識をする必要がある。

その実践で成果を上げることは、言うまでも無い。

「○○長」の責任者である貴方は、このなすべき事ができて、部下から厚い信頼を得ていますネ。

 

 

<高くがる空間>

波切不動明王(屋島西町)の上空。

浜北第3防波堤(屋島西町)から見る西南方向の高松シンボルタワーの上空。

浦生漁港(屋島西町)から見る防波堤赤灯台と防波堤白灯台の上空。

屋島中央公園(屋島西町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースや近所に咲く

ムスカリ

 

オオキバナカタバミ

ノースポール                             パンジー

 

蒲公英(タンポポ)

ツルニチニチソウ

 

キズイセン

ヒヤシンス

 

 

Akijiiままniフォトsketch<三池公園三谷八幡宮 

三郎池公園は、香川県には沢山のため池があるが、満濃池・神内池に次いで3番目の大きさの水量を誇る三郎池、その畔には龍のオブジェクトがあり、香川の原風景のような場所である。 三谷三郎池と呼ばれていて、池の周辺には三谷石舟古墳や矢野面古墳など古代の遺跡が多く見られる場所でもある。この三郎池周辺(三谷地区)は里山(高松クレーター5座)が美しい地域で北側に位置する日山、南側の実相寺山、東側の上佐山と綺麗な里山に囲まれた丘陵地帯である。池の周辺は散歩道も整備されており一周4kmほどの距離を一時間ほどの程よい時間で歩くことが出来る。 

三谷八幡宮は、三郎池の北側すぐに鎮座し、御祭神は豊田別命・息長足媛命である。

由緒は、平安時代、八幡原の地に鬼門の鎮めとして男山神を迎える。鎌倉時代、三谷彌七郎景晴 当社の霊験により宮中の怪鳥を射落し兵庫頭に任ぜられ御下賜の矢を詞前に献上、香西氏 壬佐山城攻めの戦火にあうも矢のみ現存す。寛永5年(1628)生駒高俊、西島八兵衛をして三郎池築造するにあたり現在地に遷座す。領主松平家の尊崇篤く神輿を寄進せらる。発祥より1200年、遷座より350余年三谷一郷の氏神として鎮座し、災厄を除き平和招福、産業文化の振興に霊験ありと伝う。(境内由緒書きより)

 

▼所在地、三郎池

高松市三谷町:〒761-0450

 

▼三郎池公園(竜王丸モニュメント)、三谷八幡宮

 

 

▼高松市立みんなの病院、病院のバスのりばで「バタクス(乗合タクシー仏生山川島線)」に初乗り

 

▼バス停「三谷出張所」で降車(乗車料金200円)、乗合タクシー(仏生山川島線)の車輛

 

▼高松市三谷出張所前の「南海道三渓驛之趾碑」を見学、南海道三渓驛之趾碑

 

▼三郎池公園へ向かう(約1.3km)、県道12号線を東の進み次の信号交差点を右折

 

▼三谷町を南に進む-1(正面奥に三谷保育所)、三谷保育所に西側を南に進む-1

 

▼三谷保育所に西側を南に進む-2(次のT交点を左折)、三谷町を東方向に進む-1(次の交点の右奥に三渓幼稚園)

 

▼右奥の三渓幼稚園、三谷町を東方向に進む-2(小作川を渡る)

 

▼三谷町を東方向に進む-3(県道43号線が見えて来た)、県道43号線を直進横断して「藤川三渓顕彰碑」に寄る

 

▼県道43号線横の「藤川三渓顕彰碑」の標柱、藤川三渓顕彰碑に進む

 

 

▼藤川三渓顕彰碑に着いた、藤川三渓胸像

藤川三渓は讃岐の国山田郡三谷村(高松市三谷町)生まれ、名を忠猷(タダミチ)成人して伯孝(ノリタカ)医師名は求馬、三渓は号である。中山城山に学び、また長崎で高島秋帆に西洋の砲術を習った。その後勤王の志士として国事に奔走、農民兵「竜虎隊」を組織し、活躍したが、藩から咎められ6年もの牢獄での生活があったが維新を迎えて出獄した。出獄した後、奥羽征討軍監察使として功を立てた。明治14年に公務を退職し、東京と大阪に水産学校を創設した。

 

▼県道43号線交差点に戻り左折し三郎池公園へ進む、県道43号線交差点の右(北)方向

 

▼県道43号線を南方向へ進む-1

 

▼県道43号線を南方向へ進む-2、左奥に上佐山

 

▼右奥に日妻山・実相寺山、正面奥左は上佐山・右は日妻山

 

▼右側奥に日山、県道43号線を南方向へ進む-3(次の信号交差点を右折)

▼交差点を右折(交差点角に標柱)、三郎池自然公園0.3kmの標柱

 

▼小作川(春日川水系)沿いに南方向に進む

 

▼正面奥が三郎池、三郎池公園へ進む-1

 

 

▼三郎池公園へ進む-2、三郎池公園に着いた

 

▼三郎池-1(奥に高松クレーター5座)(パノラマ景)

▼三郎池公園の散策(約0.6km)、三郎池公園散策-1

 

▼三郎池公園散策-2

 

▼三郎池-2(パノラマ景)

▼三郎池公園散策-3

 

▼右(北)下に三谷八幡宮、三郎池自然公園の案内板

▼三谷三郎池窯跡の案内板、三谷三郎池ハイキングコースの案内板

 

▼三谷三郎池の説明板、各種の記念碑-1

 

▼保存塔(皇太子殿下御成婚記念)、各種の記念碑-2

 

▼三郎池-3(パノラマ景)

▼三郎池公園散策-4、右(北)奥に三渓小学校(奥に香川県庁舎・高松シンボルタワーが見える)

 

▼香川県庁舎・高松シンボルタワーのズーム景、三郎池公園散策-5(三谷三郎の「じゃ」の説明板)

 

▼三谷三郎のじゃ-竜王丸モニュメント-1

▼三谷三郎のじゃ-竜王丸モニュメント-2

 

▼三谷三郎のじゃ-竜王丸モニュメント-3、三郎池公園散策-6

 

▼三谷八幡宮の御旅所

Vol.954-2/3に続く

 

 

 

<akijii展-(511)

スクラッチアート(日本の城めぐり6点)

今報は「弘前城(森県弘前市)で、所要時間は455Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.954-2/3をご覧ください。