Vol.955-4/6 R巻頭-67。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:42<法道寺・長柄ダム他2> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.955-3/6に続けてご覧ください。

 

<67.主基斎田跡地> <撮影:2018.04.09>

天皇即位式典の大嘗祭に供奉する新穀を栽培する田を斎田といいます。斎田には、主基と悠紀の2ヶ所が決められるが、大正天皇の即位にあたり、綾歌郡山田村(現在の綾川町山田上)に主基斎田(すきさいでん)が勅定されました。

1914年(大正3年)2月、宮内大臣から、「来ル11月13日行ハセラレルベキ大嘗祭ノ斎田ハ香川県ヲ主基ノ地方ニ勅定相成候・・・」の通知が知事にあり、これに基づき知事は斎田及び斎田奉耕者を決定しました。

奉耕者は、選考の結果、山田村の岩瀬辰三郎氏に決定しました。県、村、奉耕者がこぞって準備をしていたところ、4月11日、昭憲皇太后の崩御により即位の大礼、大嘗祭は延期となりました。関係者は大変驚いたが、その状況は「県民ノ失望限リナク就ク奉仕者ハ落胆ノアマリ遂ニ発病スルニ至リ・・・」 と文書に残されています。その後、斎田はそのまま存置と決定され、1915年(大正4年)に実施される事になりました。

同時に「斎田作業行事予定」が決められました。現在、綾歌郡綾川町山田上に「主基斎田の碑」、三豊市豊中町に「主基斎田御筵の碑」、「主基斎田風俗歌の碑」綾川町山田上に「主基斎田耕牛 千代号の碑」がそれぞれのこっています。また、主基斎田を記念し、1915年(大正4年)には、群立主基農林学校が滝宮村(現在の、県立農業経営高等学校・綾川町北)に設立されました。                          (綾川町商工会HP)

 

<所在地・外観>

主基斎田跡地-綾歌郡綾川町山田上

▼主基斎田跡地-大正天皇大嘗祭(だいじょうさい)の奉仕田

 

 

綾川町綾上支所から国道377号線を東方向へ1.8kmほどで川北交差点に、そこを右折して東南へ1kmほど進むと、綾川町営バス停「南山」がある。そこから国道377号線を北へ200m戻ると、右側に主基斎田跡の標識板がある。その細い道を直進し直ぐに右に折れると左手に「主基斎田跡地」がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼綾川町綾上支所、「南山」綾川町営バス停

 

▼国道377号線を北進、 右側の細い道に入る

 

▼主基斎田跡の社に到着、主基斎田跡地-1

 

 

大正天皇即位の大嘗祭(だいじょうさい)にあたり、定められた主基斎田の田植式が、1914(大正4)年5月27日に行われた時の斎田跡である。

 

▼主基斎田跡地-2

 

▼主基斎田跡地-3

 

▼北西の山に後藤城跡、記念館の案内板

 

 

大嘗祭の時、西国に主基(すき)、東国に悠紀(ゆき)と呼ばれる祭場が設けられ、そこで栽培された新穀が宮中に供えられる。その主基の国が香川県と定められ、県内の選考の結果、この地の4反4歩(40.1a)の田地が、「立地も空気も良く、地味肥沃(ひよく)、水清い」という理由で選ばれた。

 

▼大正天皇即位大嘗祭御用達筵(web引用-水彩画風変換)

 

選抜された60人の奉仕者の元で、御用米「国の光」が栽培され、9月18日に抜穂(ぬきほ)式が行われた。経費は、当時の金額で香川県1万5552円、綾歌郡1913円、山田村2677円、耕作者1678円、計2万1821円であった。当時のはがき1枚は1銭5厘だったから、現在の7300万円くらいに相当すると思われる。現在、主基斎田農具一式は町有形文化財になっている。

 

この斎田跡地には、「主基斎田之碑」「主基斎田耕牛千代号之碑」がある。

 

▼主基斎田之碑-1

 

▼主基斎田之碑-2

 

▼主基斎田耕牛千代号之碑

▼主基斎田耕牛千代号之碑

 

 

関連するものとして、三豊市豊中町に「主基斎田御筵(むしろ)碑」、三豊市財田町財田中に「御苗洗所之碑」「主基風俗歌之碑」(財田町—所在不明)がある。

 

▼主基斎田御筵(むしろ)碑(豊中町)、御苗洗所之碑(雨宮神社内)

 

 

現在の香川県立農業経営高校は、1915(大正4)年に設立された主基農業学校が母体になっている。

 

▼香川県立農業経営高校

 

▼主基農経祭(web引用-水彩画風変換)

 

 

秋篠宮ご夫妻、早乙女見守る…香川で記念行事 (2015年06月22日YOMIURI ONLINE)

秋篠宮ご夫妻は21日、「主基斎田100周年記念お田植まつり」にご出席のため、香川県綾川町を訪問された。田植え行事では、田園地帯にのどかな歌と太鼓の音が響き、伝統の踊りも披露された。

ご夫妻そろっての来県は1993年9月の東四国国体夏季大会に続いて3回目。

式典に先立ち、ご夫妻は同町北の県農業試験場を視察された。西山芳邦場長による、特産のオリーブや県産米「おいでまい」など、県が栽培や開発に力を入れる農産物についての説明に熱心に耳を傾けられた。その後、式典会場となる斎田跡地に移動された。まつりは、主基斎田の歴史や米作りの伝統を後世に伝えるため、大正天皇の大嘗祭に新米を献納した100年前の田植えの儀式を古式ゆかしく再現し、85年から行われている行事。斎田を記念して創設された県立農業経営高の女子生徒23人が菅笠(すげがさ)に紅白のたすきを掛けた早乙女姿に。町立綾上小の児童らが歌う田植え歌に合わせて1束ずつ手植えする様子を、約1500人の見物人らとともに笑顔でご覧になった。手植えに参加した同高2年の女子生徒(16)は「両殿下の前なので、失敗しないようにとかなり緊張した。100年の節目に立ち会え、誇らしく思う」と話していた。

 

▼主基斎田跡-100周年記念式典碑

 

▼主基斎田跡-100周年記念式典-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼主基斎田跡-100周年記念式典-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼主基斎田跡-100周年記念式典-3(web引用-水彩画風変換)

 

 

<関連遺産>

主基斎田跡のすぐ北西に山があるが、この山の上には「後藤城跡」がある。

城主は羽床七人衆の1人である後藤石見守資盛(いわみのかみすけもり)で、前を流れる綾川が天然の堀となっている。大きさは約100m四方あり、讃岐の標準50m四方より大きい。小規模なものを含めると7つ以上の削平地(曲輪)があり、頂上の主郭には10×7mの櫓台状の高まりがある。

 

▼左にある地蔵堂を左に入る(登り口)、後藤城跡を目指し上る

 

▼赤テープを探しながら進む、頂上(主郭)へ到達

 

▼頂上(主郭)の周囲-1

 

▼頂上(主郭)の周囲-2

 

▼下山-1

 

▼下山-2、登り口に戻った

 

▼後藤城跡を北方向から見る、東方向から見る

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.955-5/6をご覧ください。