Vol.945-1/2に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-中讃編:32<城山>
<43.城山> <撮影:2012.09.15 and 2017.06.22>
城山(きやま)は地名からもわかるとおり古代山城の遺跡があり、早くから国指定の史跡となっています。また、一方で城山の城跡は城山長者の伝説と結びついていて、坂出の昔話として語り伝えられています。城山は朝鮮式山城とも神篭石とも呼ばれていますが、今日では朝鮮式山城に類似する構造の城跡と考えられています。朝鮮式山城は7世紀後半頃の朝鮮半島の政治的緊張に伴い、日本国内の防御体制を整えるために築かれたとされています。
城山の城跡は山頂の平たん部を中心に確認されており、平たん部から急斜面へと変換する地点付近には石塁・土塁が一重から二重に巡らされています。車道(くるまみち)と呼ばれるこの遺構は、足の具合の悪かった娘を車に乗せて、長者が一緒に散歩したものだと語り伝えられてきました。
このほか、山中にはホロソ石・マナイタ石と呼ばれる奇妙な石製加工物が散在していますが、これらは幾つか存在したと考えられる城門の礎石ではないかと推測されていますが、ホロソ石一対とマナイタ石とで城門の礎石が組まれたなら、その数が足りないことや、その発見場所が全く離れていたりすることなど、不明な点が多く、破壊されたためではないかとか築造途中に放棄されたのではないかなど、諸説が考えられています。いまだなぞに包まれた遺跡なのです。 (坂出市HP)
<所在地・外観>
▼城山-坂出市西庄町・川津町・府中町、丸亀市飯山町
▼城山-「日本書記」に記録のない古代山城
JR八十場駅から79番札所天皇寺沿いに南方向に進み、国道11号線の西庄町交差点を直進横断して、県道189号線の奥池沿いを経由し、郷師山の西麓を南から東方向に進み、黒岩天満宮に到着する。JR八十場駅から約4.2kmである。その後、黒岩天満宮側の登山口から郷師山に立ち寄り、南方向にゴルフ場を目指して「城山」(国史跡)へ上る。
<概 要>
標高462mの山頂には、大小10個ほどの礎石が残り、城山長者の伝説(巨人伝説)に因んだ車道(くるまみち)やマナイタ石・ホロソ石などがある。
▼国道11号から左の県道189号へ(金山トンネル手前1.2km)、奥池に映る飯野山
▼登山口のある黒岩天満宮、鳥居左側の登山口
▼登山道、振り返ると飯野山に大麻山
▼郷獅山石窟仏、郷師山と城山のコル
▼県道189号線に面したコル、郷師山への登山道へ入る
▼岩混じりの急登道
▼山頂の安山石群、山頂の岩石に腰を掛けるakijii
▼前面に聳える城山、郷師山からコルに降りた
▼史蹟城山案内板、城山への登山口へ入る
▼城山の登山道-1
▼城山の登山道-2、城山の登山道から車道へ出た
▼城山城の石壘
▼史蹟石壘
▼高松ゴルフ倶楽部城山コース、城山園地案内図
▼山頂への導入路、山頂が間近
▼山頂到着-1等三角点、三角点の横で展望台を観るakijii
▼山頂に点在する城跡の礎石
▼東方向を観るakijii、国分寺町の山々
▼府中湖と鷲ノ山、四手池と高松自動車道
<歴史遺産>
ゴルフ場内には石塁(せきるい)や水口(みなくち)跡がある他、石塁の起点となる高さ3m、幅約4.5mの城門もある。また、城山を東のJR鴨川駅方面におりると登山道沿いには、土塁や門礎石と考えられるホロソ石・カガミ石などが数個点在する。663(天智天皇2)年の白村江(はくそんこう)での敗戦を受けて、瀬戸内海沿岸などに整備された古代山城の1つと考えられている。伝説では、城山長者の屋敷とされている。
▼城山城門の想像図(web引用-水彩画風変換)
▼ホソロ石(web引用-水彩画風変換)
城山頂上の東北方向にある独立峰は「明神原(みょうじんばら)」と呼ばれ、讃岐国司であった菅原道真が、888(仁和4)年、城山の神に雨乞いをした場所として伝えられており、鳥帽子(えぼし)形の巨石などが立っている。
▼左の頂上部が明神原、明神原の露石群(web引用-水彩画風変換)
▼鳥帽子形巨石(web引用-水彩画風変換)
<関連遺産>
城山の北麓(国庁碑から西方約750m)に「城山神社」がある。
延喜式内讃岐国二十四社の1社で、神櫛王(かんぐしおう)と城山の山の神を祀る。
もとは山にあったという。
▼城山神社-鳥居、参道
▼城山神社-社号標と注連柱、狛犬・延喜式内石柱・社殿
▼城山神社-拝殿(由緒略記)、本殿
▼城山神社-雨請天満宮、四神殿(春日社・八幡社・施加美社・入彦大明神)
▼城山神社-境内
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
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