Vol.944-2/2 R巻頭-56。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:31<讃岐国府跡> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.944-1/2に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-中讃:31府跡>

<42.讃岐国府跡 <撮影:2017.06.22 and 2017.06.27>

坂出市にはかつて讃岐国の国府(国庁)があったとされています。詳しい場所はいまだ分かっていませんが、府中町の本村地区に、「聖堂(せいどう)」や「正倉」「印鑰(いんやく)」「垣ノ内(かきのうち)」といった地名が残されていることなどから、この付近にあったと想定されています。国府は鎌倉時代にはその機能を失ってしまいましたが、讃岐国司として任命されこの地を訪れた貴族の中に、学問の神様として知られる菅原道真がいます。道真は当地を詠んだ多くの漢詩を残したほか、旱魃(かんばつ)に際し城山にて雨請いを行ったことが知られています。       (坂出市HP)

 

<所在地・外観>

讃岐国府跡-坂出市府中町本村

▼開法寺塔跡、讃岐国府跡-讃岐国府跡(さぬきこくふあと)探索事業が進める国府政庁探し

 

 

JR讃岐府中駅から県道33号線を西北に進み、綾川大橋を渡って坂出方面へ向かう。

 

<概 要><歴史遺産>

綾川大橋を渡って約300mで左折して、JR予讃線・瀬戸大橋線の踏切を渡って約80m先を左折すると、約100m先に「讃岐国庁址碑」が見える。

 

▼JR讃岐府中駅、県道33号線を西北へ進む

 

▼綾川大橋(綾川)を渡る、県道33号線を500m行った交点を左折

 

▼県道33号線交点を左折しJR踏切を渡る、JRの踏切を渡る

 

▼JR踏切を越えて100mを左折、讃岐国府跡が見えてきた

 

▼讃岐国府跡-1:南からの全景、東からの全景

 

▼讃岐国府跡-2:讃岐国庁所在推定図、讃岐国府址碑

 

 

北方向に流れてきた綾川が東に流れを変え、直ぐに北西に流れるこの付近には、印鑰(いんやく)・聖堂(せいどう)・帳継(ちょうつぎ)・垣の内(かきのうち)などの地名が残る。この方(ほう)5町(ちょう)ないし方6町の地に国府・政庁が有ったとされる。2013(平成25)年2月、香川県埋蔵文化財センターは発掘調査の結果、讃岐国府跡の位置を確定した。全面発掘には至っていないが、大きな成果と云える。

 

▼綾川の上流(西南)方向、下流(東から北)方向

 

 

讃岐国府跡の南西約200m先には、「開法寺(かいほうじ)搭跡」(県史跡)がある。

 

<関連遺産-1>

昭和45年、府中町本村地区にて古代寺院の塔跡のものと見られる礎石群が発見されました。

塔の中心にあり,中央に二重の孔を持つ心礎の他、心礎を囲む4本の四天柱(してんばしら)、更に外側にある12本の側柱(がわばしら)と、塔を構成する礎石が全て良い状態で残っており、貴重な遺跡であるため、同年県指定史跡に指定されました。その時代は同時に発掘された瓦から、白鳳時代の建立で有ると見られています。

この地域がかつての国府跡地の可能性が高いこと、菅原道真の漢詩集『菅家文草』中に、国府の西にある開法寺という寺院について触れた記述の有る事から、この開法寺の塔跡ではないかとされています。その後の調査により、地下に基壇の一部も残っている事が確認された他、近くの田畑中では僧坊や講堂、回廊と想定される寺院の建物の礎石が発見されており、伽藍(がらん)配置の復元がある程度可能となっています。            (坂出市HP)                                            

讃岐国司として赴任した菅原道真が「開法寺は府衙の西に在り(菅家文草)」と詠んだように、平安時代の中期には政庁の西にあったことが知られている。
国府域内に存在する事から、官寺的性格が強い寺院で有った事が考えられ、発掘成果により鎌倉時代まで存在していた事が解っている。

 

▼開法寺塔跡へ寄る

  

▼開法寺塔跡-1

 

▼開法寺塔跡-2

 

▼開法寺塔跡-3

 

▼開法寺塔跡-4

 

▼開法寺塔跡-5、開法寺塔跡から見える讃岐国府跡

 

 

<関連遺産-2>

国府の2km内外には、「新宮(しんぐう)古墳、綾織塚(あやおりづか)(穴薬師)古墳、醍醐古墳群」など、大型の横穴式石室を持つ大規模古墳が営まれている。

 

▼新宮古墳-1

 

▼新宮古墳-2

 

▼新宮古墳-3

 

▼綾織塚古墳-1

▼綾織塚古墳-2

 

▼醍醐古墳-周辺マップ、醍醐古墳:2-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼醍醐古墳:2-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼醍醐古墳:3(web引用-水彩画風変換)

 

▼醍醐古墳:4(web引用-水彩画風変換)

 

▼醍醐古墳:7(web引用-水彩画風変換)

 

▼醍醐古墳:x1(web引用-水彩画風変換)

 

▼醍醐古墳:x2(web引用-水彩画風変換)

 

 

開法寺搭跡のすぐ西の丘陵上には、1987(昭和62)年に開設した香川県埋蔵文化財センターがある。

 

<関連遺産-3>

香川県埋蔵文化財センターでは、瀬戸大橋架橋や四国横断自動車道の建設などに伴う発掘調査で、出土した遺物を整理・保管している。

屋内には、県内出土の考古資料が展示され、屋外にも弥生時代の竪穴式住居が復元されている。

 

▼埋蔵文化財センター-:外観

▼埋蔵文化財センター-:第一展示室-1

 

▼埋蔵文化財センター-:第一展示室-2

 

▼埋蔵文化財センター-:屋外展示-復元した竪穴住居

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀