Vol.939-3/4 R巻頭-51。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:26<陣の丸・快天山古墳> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.939-2/4に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-:26<陣の丸古墳・快天山古墳

35.丸古墳 <撮影:2017.08.29>

陣の丸古墳(じんのまるこふん)群は、綾歌町富熊の竜王山から西に派生する尾根上の「陣の丸」と称される独立した丘陵上に位置する。山上は、高原状で「陣の丸高原」として、綾歌十景の一つにも選定されている。山頂からは、丸亀平野南部を一望することができる。山上に登ると、こぶ状の高まりが5か所連続している。これは、前方後円墳2基、方墳1基が配置されている状態で、良好にその姿を目にすることができる。

古墳の配列をよく見ると、前方後円墳2基が、方墳を挟み、前方部を中央にして向き合っている。この配列が特徴的であることから、県指定史跡に指定されている。最近の調査で、中世戦国期には、陣の丸城という陣城として利用されていたことも分かってきている。このことが「陣の丸」と称される由来であると思われる。     (丸亀市HPより)

 

<所在地・外観>

陣の丸古墳-丸亀市綾歌町富熊字奥川内

▼陣の丸古墳-3基の古墳が一直線上に

 

ことでん栗熊駅から県道22号線を北上し、富熊小学校へ通じる交点を右折して東北に進み、富士見坂団地を抜け、約600mそのまま坂を下る大きな三叉交点に出る。

 

<概 要> 

▼栗熊駅をスタートし国道32号線を北へ横断(標高36m)、綾歌中学校を通過

 

▼県道22号線を北上-1、栗熊小学校を通過

 

▼県道22号線を北上-2、県道22号線交点を右折

 

▼右に富熊小学校、富士見坂交点を右折

 

▼富士見坂の標識(標高42m)、富士見坂団地の幹線道路を東に上る-1

▼富士見坂団地の幹線道路を東に上る-2、東北に上る

 

▼幹線道路の左(北)側の富士見坂団地の様子、道路の左(北)側の様子

 

▼富士見坂団地の自転車歩道通行可ここまで、富士見坂団地の最頂部(標高85m)

 

▼坂を下る

 

▼三叉交点に到達(標高61m)、交点を右折

 

 

三叉交点を右(南)に折れて約600m坂を上ると、道の右側に「県史跡 陣の丸古墳」の説明板が立っている。

 

▼再び坂を上る

 

▼坂を上る-1、右奥に飯野山の頭が見える

 

▼坂を上る-2

 

▼坂を上る-3、綾歌十景-陣の丸高原1

 

▼綾歌十景-陣の丸高原2、陣の丸古墳の案内板が見えてきた

 

▼陣の丸古墳の上り口に着いた(標高117m)、古墳の説明板

 

 

そこから約100m上がると、前方の標高142mの丘陵上に「陣の丸古墳」(県史跡)がある。

 

<歴史遺産>

▼陣の丸古墳へ上がる-1(約100m)

 

▼陣の丸古墳へ上がる-2、陣の丸古墳に着いた(標高142m)

 

丘陵上に、方墳1基を挟んで前方後円墳2基の計3基が一直線上に配され、他に類例を見ない遺跡である。

 

▼陣の丸古墳

 

▼空中から見た陣の丸古墳、陣の丸城の縄張り図(web引用-水彩画風変換)

 

▼古墳の西側から東方面を眺める:正面の山が竜王山

 

▼古墳の東側から西方面を眺める:飯野山が見える

 

 

栗熊の平野部がよく見える場所に築かれている。

▼綾歌町富熊の平野部

 

未発掘のため正確な年代は解らないが、前方後円墳は2基とも前方部が低く造られている事から、古墳時代前期という考え方が出されている。5世紀にさがるという意見もあるが、いずれにしても平野部から離れた立地で有る事から考えれば、横山山系の谷筋から富熊の平野部までの水系を整備・確保した地域首長が被葬者として推定されている。

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.939-4/4をご覧ください。