Vol.995-1/3 R巻頭-107。歴史(観て歩き)レポ-県都編:23<屋島寺・屋島神社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

落下防止柵を水面に映す穏やかな宮池。

 

爽やかな夕陽を浴びる宮池。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-107  Orignal掲載日:Vol.201 (2013.07.30)

生きることば…。

瀬戸内 寂聴さんの著書より抜粋して紹介します。

 

▼人は生まれた時、定命(じょうみょう)というものを与えられています。

この定命が尽きるまではこの世で生きていなくてはなりません。生きることは楽しいことばかりではありません。お釈迦さまはこの世は苦しみの世の中だと教えていらっしゃいます。

▼人は何処(いずこ)より来て、何処へ行くのか。

わかっていることは、自分は自分の意志でこの世に生まれてきたのではないということ、この世にいる時間を自分の都合で調節できないことだけです。

▼「時」はその人とともに生きつづけます。

肉親よりも、夫婦よりも、空気や太陽よりも、人は自分の時と永遠につきあわなければならないのです。そして時をふり返るというのは、よほど幸福な時か、ほんとうに孤独に打ちひがれた時であるようです。

▼人間にはさまざまな運命があります。

神さまは公平で、一人の人間にだけいいことばかりは与えません。長い一生を観れば、どんな人も、いいことや悪いことにくり返し見舞われています。雨の日が一ヶ月もつづくということはないのです。同じ状態がつづかないことを仏教では無常(むじょう)といいます。

▼仏教では、縁(えん)ということを、大切にします。

わたしたちが生きていることのすべては、この縁によって行われているのです。原因があって、縁の作用が加わって、結果となる。仏教ではこれを因果(いんが)の法則といい、世の中のすべてを説明できるのです。

▼釈尊(しゃくそん)の教えは、あくまでも自分の心のなかからの声を聴けというものです。

自分こそ自分の主人、どうして他人が主人であろう、自分をよくととのえたなら、自分こそ得がたい、主人になるだろう。

▼やっばり生きているという事は、ああ、いい天気だとか、今夜は風が出そうだとか、今年のさんまはおいしいとか、そんなつまらないことを何の警戒心もなくふっと口にして、それを聞いてもらえる相手がいる、ということかも知れません。

▼幸福な人のそばに寄ると、幸福のほてりを受けてこちらも温かくなります。

 

貴方は、読まれてどのように感じましたか。

 

 

<高くがる空間>

朝日を受け爽やかなだんご山3兄弟の上空。

冠纓神社(香南町由佐)の表参道入口の上空。

冠纓神社の表参道の上空。

冠纓神社の神門の上空。

冠纓神社の境内社・厳島神社から見る裏参道の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇盆栽園のケイトウ

 

  

◇ウォーキングコースに咲くイタドリ

 

◇Ka宅の玄関の寄せ植え

◇Ya宅の畑の中の鉢に咲くホテイアオイ

 

◇ウォーキングコースで色付き始めたセイタカアワダチソウ

 

◇Hi宅のフェンスのツルムラサキ

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<中野荷神社・渋柿  

中野稲荷神社は、JR高徳線の高架が参道の上を通っています、稲荷社なので赤い鳥居の列が並んでいます、境内からは栗林公園の借景となっている紫雲山への登山道が通じています

1743年、高松藩5代藩主・松平頼恭が創建。創建当時は、石清尾八幡宮の境内に鎮座していたそうです。しかし1744年に中野天満神社に遷座。その後、現在地に遷座。現在は石清尾八幡宮の境外末社です。

境内入口にはサイズが全然違う神明鳥居が2基。手前の鳥居には転びがあって、奥の鳥居には転びがありませんでした。
ちなみに転びとは鳥居の柱の傾斜のことです。石灯籠のテッペンには・・・フクロウ?鷽?

不ぞろいの鳥居をくぐるとガード下の参道に突入。駅と神社のコラボレーション。これはなかなかの珍光景ですね。

本殿は1934年改築、瓦葺入母屋造、稲荷大明神を祀る。

社殿の周りにはたくさんの幟旗が立っていました。まるで戦のようだね。

 

渋柿寺は、浄土宗真宗興正寺派で御本尊:阿弥陀如来、創建は不詳。

戦国時代は香西氏の臣下吉田玄蕃の中ノ村城(館)で有り、天正十年(1582年)に土佐の長曽我部元親軍の侵攻にて香西氏が敗れた時に中ノ村城も落ちたと思われる。
吉田玄蕃が何年のどこで亡くなったかは不明だが、後に当寺に吉田玄蕃の墓所であったと伝わっている。
この辺りは生駒高俊時代に家臣西嶋八兵衛が、香川町大野から二方向に流れていた香東川と郷東川を一方向(郷東川)にするまでは仏生山街道や中央通りを含めた幅の本流香東川だったそうだ。
当時の香東川は暴れ川で度々洪水を起こし村人を苦しめた。村人は氾濫を起きないように願いを込め、また亡くなった人々を弔う為、自然災害の平穏、住民や旅人無事(その昔は渡し舟があり、この辺りが西の渡しだったようです)を祈願し供養の為に地蔵菩薩を建立したのが渋柿寺の始まりと伝えられている。享保年間(1716〜1735年)高松藩主松平頼重公より仏飯料として三石寄進したとある。境内の北東隅には石が置かれていて「キリシタン灯籠」と云われている。以前は聖徒と十字架の陰刻が見えていたそうだが風化により分かり難くなって居る。色々の説のある灯籠である。

 

▼所在地、六角堂

高松市中野町:〒760-0007

 

▼中野稲荷神社、渋柿寺

 

 

▼宮脇中野町緑地の北西方向、宮脇中野町緑地を南東方向に進む-1

 

▼宮脇中野町緑地を南東方向に進む-2

 

▼六角堂に寄る、左前方に六角堂

 

 

▼六角堂に着いた、六角堂-1

▼六角堂-2

 

▼六角堂-3

 

▼六角堂-4

 

▼六角堂-5

 

▼六角堂-6

 

 

▼六角堂を後にして中野稲荷神社へ進む(約0.15km)、宮脇中野町緑地を南東方向に進む-3

 

▼宮脇中野町緑地を南東方向に進む-4

▼「心かよう ふれあい通り」の案内板、中野稲荷神社へ進む-1

 

▼中野稲荷神社へ進む-2(右側はJR栗林公園北口駅)、JR栗林公園北口駅

 

 

▼中野稲荷神社に着いた、中野稲荷神社-1

 

▼中野稲荷神社-2

 

▼中野稲荷神社-3

 

▼中野稲荷神社-4

 

▼中野稲荷神社-5

 

▼中野稲荷神社-6

 

中野稲荷神社-7

 

▼稲荷山へのコース-1、右はJR栗林公園北口駅のホーム

 

▼稲荷山へのコース-2

 

▼稲荷山へのコース-3、中野稲荷神社境内へ引き返す-1

 

▼中野稲荷神社境内へ引き返す-2

 

▼中野稲荷神社境内に戻った、中野稲荷神社-8

 

▼中野稲荷神社-9

 

▼中野稲荷神社-10

 

▼中野稲荷神社-11、中野稲荷神社を後にして渋柿寺へ向かう(約0.5km)

 

 

▼中野町を東方向へ進む、中野町を東方向へ進み次の県道173号線交点を左折

 

▼県道173号線交点から中野稲荷神社を振り返る、県道173号線の交点の右(南)方向

▼県道173号線を北に進む、次の交点を右折

 

▼中野町を東へ進む-1

 

▼中野町を東へ進む-2

 

▼次の交差点を左折、中野町を西北へ進む(左奥に渋柿寺が見えて来た)

 

 

▼渋柿寺に着いた、渋柿寺-1

 

▼渋柿寺-2

 

▼渋柿寺-3

 

▼渋柿寺-4

 

▼渋柿寺-5

 

▼渋柿寺を後にして中央町へ進む、中野町を北西方向に進む-1

 

▼中野町を北西方向に進む-2(左は松下製麺所)、次の交差点を右折して中央町に入る

 

(次報Vol.996に続く)

 

 

<akijii展-(552)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-03

今報は「女の子」で、所要時間は405Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.995-2/3をご覧ください。