Vol.991-1/3 R巻頭-103。歴史(観て歩き)レポ-県都編:19<由良山と清水神社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

夕暮れ時の宮池2景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-103  Orignal掲載日:Vol.197 (2013.07.10)

歩歩(ほほ)…。

 

禅の言葉に「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」がある。日常の一挙手一投足、その全てが自己を鍛える道場だ、と云う意味で「歩歩とはいま、ここのこと」だ。道場は静謐(せいひつ)な山中にだけあるのではなく、いま、自分が置かれている立場、状況はそのまま自己を磨く道場である。

 

歴史に鮮やかな軌跡を残した人々は、一様に歩歩是道場を体現した人である。

西郷隆盛を例にすると、西郷は島津久光の逆麟(げきりん)に触れ、36歳で徳之島へ、さらに沖永良部(おきのえらぶ)島に遠島となる。沖永良部島は鹿児島から536kmで、今でもフェリーで17~18時間はかかる。西郷の時代は船頭が人力で漕いでいったのだ。当時、この島に流されるのは死刑に次ぐ重刑であった。西郷はその島で戸も壁もない獣の檻のような吹きさらしの獄舎に幽閉された。同時に一族郎党を含め、西郷家の財産は全て没収されていた。

常人なら絶望に打ちひしがれて不思議はないが、この状況の中で800冊の本を詰めた行李(こうり)3つを獄舎に持ち込み、猛烈な勉強を始めるのである。

 

西郷が友人の桂右衛門(かつらうえもん)に送った手紙には、「徳之島より当島へ引き移り候処、直様牢中に召し入れられ却って身の為には有難く、余念なく一筋に志操を研き候事にて、(中略)益々志は堅固に突き立て申す事にて、御一笑成し下さるべく候」とあり、西郷は遠島流罪という悲運の場を、自己研鑽に励むことで最高の修養の場と化したのだ。

 

曹洞宗を開いた道元にも、一つの言葉ある。

「設(たと)ひ発病して死すべくとも、猶只是(なおただこ)れを修すべし。病ひ無ふして修せず、此の身をいたはり用ひて何の用ぞ。病ひして死せば本意なり」

たとえ病気になって死のうと、仏道修業をやり抜くべきである。まして病気でもないのに修業もせず、自分自身の体をいたわり、その体を何の用に役立てようというのか。仏道修業を続ける中で病気になって死んでも、それはそれで本望ではないか、と云って事実、この言葉のような人生を生きたという。

道元は死の床で「法華経」の「如来神力品(にょらいじんりきほん)」の言葉を柱に書き、それを唱えながら亡くなったという。その言葉とは是の処は即ち是れ道場、いまわの際にあるこの場所も、自分を高めていく道場なのだ、と道に徹した人の死を賭した究極の教えである。

 

いつであれ、どんな所であれ、心がけ次第で自分を高める修業の場になる。

そういう生き方をしなければならないと私たちに教えているのだ。

 

 

<高くがる空間>

ウオーキングコース(標高m73地点)から見るだんご山3兄弟の上空。

川東小学校と香川総合センター(香川町川東上)の上空。

竜桜公園(香川町川東下上)の上空。

竜桜公園(香川町川東下上)から見る川東八幡神社の随神門の上空。

川東八幡神社(香川町川東下)の社殿の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇我家の庭で咲き始めたシュウメイギク(秋明菊)

 

 

◇ウォーキングコースのMi氏の畑に実を付けたバナナの木の現状

24/08/30<Vol.986>でaを紹介した後、新たにbとcの房が付きました。

収穫は9月中旬頃との事でしたが、収穫にはもう少しの時間が必要な感じである。

バナナの実abc(撮影:24.09.24)

・a房

撮影:24.08.25(Vol.986掲載)、24.09.04

 

撮影:24.09.13、24.09.19

 

撮影:24.09.24

・b房

撮影:24.09.13、24.09.19

 

撮影:24.09.24

・c房

撮影:24.09.24

 

 

◇我家の庭で咲ギボウシ(擬宝殊)

 

 

Akijiiままniフォトsketch<源平の里むれ房前公園幡羅八幡神社 

道の駅・源平の里むれ

国道11号線の道の駅で、国土交通省と高松市によって整備を役割分担しており、高松市立房前公園が道の駅に隣接している。2007年(平成19年)8月4日に開駅。四国では防災機能を備えた初めての道の駅として整備。そのため、自家発電装置や防災用品を備蓄する倉庫も併設されている。(Wikipedia)

源平屋島合戦の古戦場として有名な場所に位置する道の駅。セルフ形式で新鮮な魚料理が食べられる「海鮮食堂じゃこや」、さぬきうどん・銘菓・酒類・伝統工芸品などを展示販売している「物産品コーナー」、地元の農家で栽培された新鮮なお野菜・果物が並ぶ「源平やさい市」を併設しています。(香川県観光協会HP)

高松市立房前(ふさざき)公園

道の駅源平の里むれに隣接している高松市立公園は18,000平方mの広さを持ち、展望台、彫刻作品展示や芝生広場、ランニングコース、遊具などが整備されている。災害発生時には、ヘリコプターの離着陸場として使用される。

1926年(大正15年)に製造、琴平線・志度線・長尾線と活躍の場を移しながら2006年12月まで80年間に渡って運用された高松琴平電気鉄道3000形335号が屋外に上屋・プラットホーム付きで静態保存されている。この車両は2007年に高松市に寄贈されたもので、車内に入ることもできる。(Wikipedia)

展望台からは東に志度湾、正面は小豆島、西は五剣山を望み素敵な景観が広がっています。琴電志度線を間近で見られると共に、園内には大正15年製造の琴電車両展示の他、アスレチック遊具等が配置されています。道の駅「源平の里むれ」「物産展示場」も隣接されている上、防災拠点として一体整備された施設です。(高松市観光サイト)

幡羅八幡神社

古くは、三木郡幡羅郷の氏神である。当社は奈良時代の藤前大明神に始まり、全国二百社の1つの大社であった。

長尾極楽寺因由記によれば、天暦5年に4度目の遷宮をしたと伝えられる。

三代物語には八幡宮の森に雌雄の白鳥が棲んでおり、里人は浅間鳥と呼び神の使いとして敬っていたと記されている。

又、源義経が戦勝を祈願して、社殿で夜を明かしたと伝えられる。(牟礼町教育委員会)

 

▼所在地、道の駅源平の里むれ

高松市牟礼町原:〒760-0123

 

▼房前公園、幡羅八幡神社

 

 

▼ことでん塩屋駅で下車、塩屋踏切を渡る(牟礼町大町)

 

▼「道の駅源平の里むれ」へ向かう(約0.4km)、国道11号線沿いの小径へ進む-1

 

▼国道11号線沿いの小径へ進む-2

 

▼国道11号線沿いの小径に着いた、国道11号線沿いの小径を南方向に進む-1

 

▼国道11号線の東側に幡羅郷八幡神社の石柱(裏参道口)、国道11号線沿いの小径を南方向に進む-2

▼国道11号線沿いの小径を南方向に進む-3、「道の駅源平の里むれ」の駐車場に入る(牟礼町原に入る)

 

 

▼道の駅源平の里むれ-1

 

▼道の駅源平の里むれ-2

 

▼道の駅源平の里むれ-3

 

▼道の駅源平の里むれ-4

 

▼道の駅源平の里むれ-5

 

▼道の駅源平の里むれ-6、房前公園へ進む-1

 

 

▼房前公園へ進む-2、房前公園に着いた(牟礼町原&大町)

 

▼房前公園-1(ことでん335号-1)

 

▼房前公園-2(ことでん335号-2)

 

▼房前公園-3(ことでん335号-3)、房前公園-4

 

▼房前公園のパノラマ景-1

▼房前公園-5、UNITY(和泉俊昭)

 

▼房前公園-6、風を呼ぶ(佐藤幸子)

 

▼誕生(Ⅱ)(源敏彦)、房前公園-7

 

▼門-MUSE LOVE(川島猛)、房前公園-8

 

▼房前公園から見る東(小串岬方向)方向のパノラマ景

▼房前公園のパノラマ景-2

▼房前公園から見る北西(五剣山)方向、五剣山のズーム景

 

▼房前公園から見る琴電志度線の電車、房前公園から見る電車通過後の風景

 

▼房前公園-9、天壌「循環2009」(斎藤徹)

 

▼The door of the wind(田中等)、瀬戸の都(長沼克己)

 

▼房前公園-10、Animal2012(三沢厚彦)

 

▼房前公園のパノラマ景-3

▼房前公園-11

 

▼房前公園のパノラマ景-4

▼道の駅源平の里むれに戻る

 

▼道の駅源平の里むれに戻った、道の駅源平の里むれ-7

 

▼道の駅源平の里むれ-8、真念堂-1

 

▼真念堂-2

 

▼道の駅源平の里むれを後にして幡羅八幡神社表参道口へ向かう(約0.5km)、道の駅源平の里むれの駐車場の側道を進む-1

 

(Vol.991-2/に続く)

 

 

<akijii展-(548)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-03

今報は「白鳥」で、所要時間は230Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.991-2/3をご覧ください。