Vol.961-1/3 R巻頭-73。歴史(観て歩き)レポ-西讃編:06<萩原寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

曇天下のだんご山3兄弟と宮池の水面。

雨後に霞むだんご山3兄弟・袋山を映す宮池の水面パノラマ景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-073  Orignal掲載日:Vol.109 (2012.04.09)

手伝い。

 

私の少年時代は、塾通いなどする子は一人もいず、その代わり子供たちは家の手助けをやらされた。その頃の子供がどれだけ家のために仕事をやらされたか、現代の子に話しても想像がつかないだろう。雑巾がけ、庭掃除、風呂の水汲み、薪割り、風呂焚き、その他いろんなことをやらされた。

 

今はガスの栓をひねれば風呂の湯が溜まるから何の手間もかからないが、当時はどの家も薪を焚いて湯を沸かす風呂で、それを十歳ぐらいの年からやらされたのだ。効率よく薪を焚くのは難しいもので、薪を突っ込み過ぎてもいけないし、少な過ぎてもだめだ。焚き口の中で常時火力が最大になるように焚き続けるには、絶えざる注意と気働きがいるのだ。昔は日本中どこでも家事をやらされ、それで仕事を憶えたのだが、家の手助けをさせられなければ技も身に付かなかったろう。

現代の子供たちは、受験勉強ばかりで家の手伝いなど、掃除でさえもやらされていないだろう。

やらされなければ能力が開発されない。

 

ルソーの次の言葉を紹介する。

子供を不幸にするいちばん確実な方法はなにか、それをあなたがたは知っているだろうか。

それはいつでもなんでも手に入るようにしてやることだ。

現代は幼い時から子供を甘やかすばかりで、家の手伝いもさせない。

子供は託児所や幼稚園に通わされ、小学校にあがれば塾通いで、とても身近な生活の知恵を身につける折りがない。子供の欲求を満たしてやることばかりしていては、かえって子供を不幸にするだけなのだが…。

 

 

<高くがる空間>

観興寺(室町)の境内の上空。

出雲大社高松分祀(室新町)の上空。

大手前高松中学高校(室新町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの山間に咲くヤマフジ(山藤)

近畿地方以西の中国・四国・九州に分布する木本性ツル植物で、落葉する。フジに似ているが、ツルの巻き方向が反対(ヤマフジの蔓は左巻き)であること、花穂がフジのように長く伸長しないことで区別できる。

 

生態的には、類似しているが、混生することは少なく、どちらかのみが見られることが多い。

花は4~5月後半に咲き、花序は長く伸びずに球形に近い形となる。

 

花は紫色が濃く、フジに比べて色濃い。時に白色のものもあり、白色の園芸品種として販売されていることもある。

 

◇我が家の庭に咲いている西洋オダマキ

  

◇ウォーキングコースのK宅の畑に咲くクラシックガベラ

 

◇ウォーキングコースの田圃に咲くカラ

 

◇ウォーキングコースに咲くナガミノヒナゲシ

 

◇町並巡りで出会ったナニワイバラ

 

◇ウォーキングコースに咲くモッコウバラ

 

 

 

Akijii気ままniフォトsketch<住吉神社小村田之助墓所獅子王神社  

住吉神社は、高松市小村町(おもれちょう)の業務用スーパーの横の道を入った奥に住吉神社がある。

一の鳥居の先に道が無く参道が無く成ったように見える。

屋根には屋根狛も、丸瓦にの文字が入っている。小さな神社ではあるが、凝った造りの社殿である。

 

義民-小村田之助墓所

田之助は寛永元年(1624)小村の庄屋の家に生まれ、寛永19年19歳の時に、病身の父親から庄屋職を引き継いた。

寛永19年は松平頼重が高松藩初代藩主になった年で、これから藩を経営して行こうしていた時だったが、藩内の農民はうち続く飢饉でほとほと困窮し、餓死者が出るほどであった。この状態を見かねた田之助は救済のため、年貢を11月に8分、6月に2分というように分納させて貰えるよう、もし納付ができない者がいた時には田之助の私財で納付する旨を藩に願い出た。農民の強訴は死罪だった時代で、田之助の願いは自らばかりか一族の命も掛けた上訴だったのである。

藩は田之助の意見を取り入れて分納を認めたが、田之助には厳しい処分が下される事となった。
農民達や、若く優秀な田之助の才能を惜しんだ人達は助命を嘆願したが、小姓の大村兵蔵という者が「決まりは決まり、一度許すと末代まで悪政を残す」と意見し、寛永21年4月24日に上福岡の一本松で打ち首になった。

このとき赦免状が発せられたが、あと一歩で届かず斬首されたとも伝わっている。
農民達は、高い志を持ち皆の犠牲になった若い田之助の死を悼み、弔いを続け彼の死から222年後の慶応2年(1866)に宅地跡に墓を建立したそうである。今も本村・高野自治会の方々が、命日に田之助の墓の供養を続けている。

 

獅子王神社は、ファミリーマートの隣に有る小さな神社である。

 

▼所在地、住吉神社

高松市小村町:〒761-0431

 

▼義民-小村田之助墓所、獅子王神社

 

 

▼住吉神社(小村町)へ向け県道10号線(十川西町-十河コミセン角の交差点)を北西方向に進む(約1.2km)、県道10号線(十川西町)を北西方向に進む-1

 

▼左(西)奥に十河仕様学校、県道12号線との交差点を渡る

 

▼県道12号線交差点の右(東-三木)方向、左(西-坂出・国分寺)方向

 

▼県道10号線(十川西町)を北西方向に進む-2

 

▼県道10号線(十川西町)を北西方向に進む-3

 

▼小村町に入った、県道10号線(小村町)を北西方向に進む-1

▼県道10号線(小村町)を北西方向に進む-2

 

▼県道10号線(小村町)を北西方向に進む-3、次の交点を右折し住吉神社へ

 

▼住吉神社へ進む、社殿が見えて来た

 

 

▼住吉神社に着いた、住吉神社-1

 

▼住吉神社-2

 

▼住吉神社-3

 

▼住吉神社-4

 

▼住吉神社-5

 

▼住吉神社-6

 

▼住吉神社-7

 

▼住吉神社-8

 

▼住吉神社-9

 

 

▼住吉神社を後にして義民・小村田之助墓所へ向かう(約1.4km)、小村町を北方向へ進む-1(次を右折)

 

Vol.961-2/3に続く

 

 

<akijii展-(518)

スクラッチアート(日本の名所めぐり6点)

今報は「新倉山間公園から望む富士山(山梨県)」で、所要時間は180Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.961-2/3をご覧ください。