Vol.939-1/4 R巻頭-51。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:26<陣の丸・快天山古墳> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

2023年の最終報です。今年一年間のお付き合い有難う御座いました。

2024年が輝かしい一年で有りますように祈願いたします。

 

新居宮池は今

東西南北から見る山々と新居宮池の姿。

南方向のだんご山3兄弟(六ツ目山・伽藍山・箱狭山)

南西方向の十瓶山・鷲ノ山・峰ケ原

西方向の城山・蓮光寺山・国分台

西北方向の涅槃仏(国分台・猪尻山・大平山)

東北方向の袋山

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-051  Orignal掲載日:Vol.074 (2011.10.15)

ハートが眠ったそのままで終わるか。

 

世の中で社会を相手に何かをするときに要求されるのはマインド、つまり頭の働きだ。

物事の判断、得失の素早い計算、振る舞い方や物の言いようの選択、情報の収集と選り分け、社会の動きについての認識などである。

それに対しハートの働きは、人間は青年に、壮年になるに及んで、社会情報や人工情報が多くなり、人間がひとり自然の中にあってその声を聴くことや、自分の内なる声、ハートの声など自然の声を聞く自然情報が少なくなる。

 

人間には、心の声を押さえ、世間に迎えられるようなものをつくっていく時期が、壮年期には必ずくるものである。ちょうどその年代が、社会的にも家庭的にもいちばん責任ある頃だからである。その時期に人間は、社会や家庭からいちばん拘束される。世間に入り、交わり、米と塩の糧をとる。

 

その必要は、誰もが認めるところだ。ただし壮年期を終えて、なおかつ同じように生きるか、それとも、ある程度まで何かをやってもう十分になったら、それから再び心の声を聞くか。人という人の誰もが人生の終りにのぞんで、すべての拘束から離れ、自分の絶対的自由を得ようとするかというと、誰もがハートの声に耳を傾けるわけではない。つまり自由になるかどうかは、その個人の問題となるのである。

 

人は子供の時はまだ社会がなく自然だけがあって、自然の声を聴いてハートだけの生き方をする。長じて社会に出て働くようになると社会情報、人工情報ばかりの生き方をするようになり、それは働き盛りの四十、五十において最高に達する。彼らはもう自然の声に耳を澄ますなんて時を持てなくなり、ハートは眠ったままになる。

問題はそのままで終わるかどうかなのだ。

 

それでよいという人はそういう生き方をしたらいいが、それではあまりに情けない一生だと思うようだったら、軸足を社会から自分へ、マインドからハートへ、社会から自然へと移して、閑暇のある生き方に戻るがいいのだと考えるが、皆さんはどのように考えて・・・ですか。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る高松市国分寺町とだんご山3兄弟・堂山の上空。

合子神社(池田町)の参道から見る神殿と上佐山の上空。

合子神社(池田町)の裏参道から見る上佐山の上空。

県道156号線(池田町)から見る上佐山の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇近所に咲くキダチアロエ

キダチアロエは、朱色の円錐のような形をしたエキゾチックな花を咲かせる。本来、寒さは苦手で、温暖な環境でないとなかなか花を咲かせてくれないため、花を見たことがない人もいるかも知れない。

 

また、開花する目安として、高さが50cm、茎の太さが2.5cm以上にまで生長することが挙げられるが、その大きさになるまでには3年以上掛かる。

今から2000年以上も前、古代ギリシャの王妃クレオパトラもアロエを愛用していたという伝説があり、クレオパトラは美容のためにアロエを肌に塗っていたのだそうで、しかも使っていたのは日本によくあるキダチアロエだったとか。

 

厳密に言うとクレオパトラが本当にキダチアロエを使っていた記録は無いそうだが、古代ギリシャでキダチアロエが薬用に使用されていたのは本当の事がそうで、日本と同じように切り傷に貼るほか、眼病予防や鼻の炎症を抑えるために使われたそうだ。


今は、アロエを貼ることで患部に雑菌が付いたり、シュウ酸カルシウムという成分が皮膚を刺激する恐れが有る事から火傷や傷にアロエを貼ることは医学的には薦められていない。キダチアロエを使いたい場合、クレオパトラの伝説のように美容効果のために使うのが安心かも知れないとの事だ。

原産地はアフリカ・アラビア半島で、別名は「医者いらず」「ロカイ(蘆薈)」「ルーホエ」。

花色は赤・オレンジ・黄である。

 

花言葉は「健康」「信頼」「万能」で、どの言葉も民間療法に使われてきたアロエの性質をよく表している。

 

◇ウォーキングコース脇のマサキの

 

◇近所の南天の

近所h宅

 

近くの畑

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<川部八幡宮・稲荷神社・天満神社-1  

川部八幡宮は、県道44号円座香南線を南に走り川部町に入り東側脇に鳥居が見える。

御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后です。
玉藻集によると大治三年(1128年)の創建で治承年間(1177〜1180年)には摂津兵庫築港の犠牲者、松王小児(まつおうこでい)の父、中井左馬允が社殿を再興したが天正十一年(1583年)に土佐の長宗我部元親軍の兵火に焼かれ全ての社殿を焼失。江戸時代初期に再建されたと云われている。

 

稲荷神社は、川部町三軒家にある小さな神社で、境内には立派なメタセコイアの木がある。

別名は三角寺で、かわおかカルタには「メタセコア 赤い鳥居と 三角寺」と詠まれている。

 

天満神社は、名前の通り学問の神様•菅原道真公を祀る小さな神社で、正月になると賽銭箱が出現するらしい。

言い伝えでは道真公は讃岐国司の時によく香東川沿いを散歩していたそうである。

かわおかカルタには「筆塚もある 学びの神様 天神さん」と詠まれている。

 

▼所在地、川部八幡宮

高松市川部町:〒761-8046

 

▼稲荷神社、天満神社

 

 

▼バス停「上川部」で降車、川部八幡宮へ向かう

 

▼県道44号線を南東へ進む(左奥に八幡宮が見える)、県道44号線側から見る川部八幡宮

 

▼県道44号線を左折して川部八幡宮の門前に着いた、川部八幡宮-1

▼川部八幡宮-2

 

▼川部八幡宮-3

 

▼川部八幡宮-4

 

▼川部八幡宮-5

 

▼川部八幡宮-6

 

▼川部八幡宮-7

 

▼川部八幡宮-8

 

▼川部八幡宮-9

 

▼川部八幡宮-10

 

▼川部八幡宮-11

 

▼川部八幡宮-12

▼川部八幡宮-13、川部八幡宮を振り返る

 

 

▼稲荷神社へ向かう(約2.0km)、右奥に川部八幡宮の本殿が見える

 

▼左側に萬徳地蔵尊 

 

▼右奥に高松市西部クリーンセンターの煙突、川部町を北方向に進む-1

 

▼川部町を北方向に進む-2、左奥に川岡小学校と奥に堂山と六ツ目山

 

▼川部町を北方向に進む-3、右側に地蔵菩薩

 

▼地蔵菩薩

 

▼川部町を北方向に進む-4(左側に万年筆と文具のお店helico)

 

▼川部町を北方向に進む-5(県道170号が見えて来た、交点を右折)、県道170号線を西北に進む-1

 

▼川岡郵便局前を通過し信号交差点を直進横断、県道44号線と170号線の信号交差点を直進

 

▼県道170号線を西北に進む-2、左奥に川岡小学校

 

▼左側に和光保育園と奥に和光子供園、教圓寺・和光保育園看板のズーム景

 

▼県道170号線を西北に進む-3、次の信号交差点を右(北)折

 

▼稲荷神社へ進む-1

 

▼左(西北)奥に堂山・六ツ目山、稲荷神社へ進む-2

 

▼右(東北)奥に香川県立川部みどり園、稲荷神社へ進む-3

 

Vol.937-2/に続く

 

 

<akijii展-(496)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-01

今報は「猫3匹」で、所要時間は375Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.939-2/4をご覧ください。