Vol.937-1/2 R巻頭-49。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:24<三谷寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

標高79m地点(ウォーキングコース)から見る宮池の遠景。

標高79m地点から見る宮池のズーム景。

 

宮池の遊歩道(標高32m)から見る直線距離約1.0kmのウォーキングコース撮影地点。

宮池の遊歩道(標高32m)から見る直線距離約1.0kmのウォーキングコース撮影地点のズーム景。

 

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-049  Orignal掲載日:Vol.072 (2011.10.05)

リストラ予備軍・・・。

 

リストラになり易い社員には、いくつかの特徴があるが、それは次のように言えるだろう。例えば、その社員がお客様と接するセクションにいる場合、たいていお客様の気持が解からない。そういう人は、社内の同じ部や課で働く他の人の気持も解からないし、また上司の気持も解からない。このように、まったく他人の気持が解からない人は、基本的にエゴイストだし、「自己中」という言葉があるが、まさしく自分の事しか考えないのである。

 

また、今後は単なる指示待ち族も対象となるだろう。

何もしなくても会社に乗っかかっているだけで、偉くなれた日本的伝統はすでに通用しないが、上にドーンと乗って蓋をしているという感じの指導者では、残念ながらもたない時代に入っている。有害社員は当然だが、無能社員や指示待ち社員なども、まさに生き残れない時代に入っているのだ。上司が持っている情報を与えてくれないから仕事が進められない、上司の指示が間違っているから仕事が上手くいかないなど、そんな風に思っているなら、貴方も指示待ち族と同じになっている。

 

自分の持ち場の中で、いったい自分は何を成すべきなのかを常に考え、自分で行動できる人。こうした人は、例え不況下にあっても、組織の中でちゃんと見る目を持った人に認められていくハズである。

やはり自分に厳しくなければいけない。自分に甘い人はダメだ。まず自分が勤勉かどうかを問う事だ。会社が傾いてくる時には、たいてい怠け者が増えて来る。手を抜いて仕事をソコソコにし、他の事をやり始める。関心が会社の外にあり、遊びの方に頭がいっている…などという事が多く、会社の危機に気がつかない人が多い訳である。

 

従って今、自分の置かれている立場がそれほど高いものでなくとも、自分の与えられた持ち場の中で勤勉な努力を積むことが大事である。今までの惰性でやっていけると思ってはダメだ。

自分の周囲を見るに、多くの人が対象と思えるだろうが、しかし明日は我が身も同様ではなかろうか。

 

 

<高くがる空間>

椙尾神社(十川東町)の上空。

鷺池と称念寺・十河城跡・やすらぎ墓地(十川東町)の上空。

称念寺・十河城跡(十川東町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースに咲くホトケノザ

ホトケノザ(仏の座)の名前は、花の下にある葉の形が「仏様の台座」に似ていることに由来し、葉が段状で階層的に付く様子から「三階草(サンガイグサ)」という別名で呼ばれている。

 

蓮華座に座る仏の姿から連想される「調和」という花言葉があり、他にも悟りの心をイメージした「輝く心」、信心を通じて安泰を得ることを示唆した「小さな幸せ」などの花言葉を持つ。

日本・東アジア・ヨーロッパが原産地で、開花期は3~6月だが生長環境が整っている日当たりが良い場所だと、花期以外にも花を咲かせる。

 

花色は紫・赤である。

 

<街角のクリスマスツリ

◇高松丸亀町壱番街前ドーム広場

◇高松シンボルタワー&サンポートホール

 

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<住吉神社・船玉神社・窯神社

住吉神社の祭神は住吉三神で、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三神を総称して住吉三神と呼ばれている。

牛ノ鼻(現地の案内板)

延喜元年(901)、菅原道真(菅公)が、冕罪にあい、太宰府に左遷された時、この海岸(牛ノ鼻)に一時停泊し、香西氏の民と会った処です。領民らは、菅公との別離を惜しみ、「憂(うれわ)しの鼻」の意から「牛ノ鼻」と呼ばれるようになったと言われています。また、この地は、「天神の鼻」とも、「憂岬(うしのはな)」とも呼ばれ、菅公の徳が偲ばれます。

窯神社(現地の石標)

この地で栄えた窯業の始祖、佐助を祭っている。自然石の御神体は窯の神、三宝荒神である。

寛政年間(一七八九~一八〇一)佐助は高松市勅使町から移り住み、村の若者四名に土管、井側の素焼製法を教えた。

神在焼として発展し明治二十九年(一八九六)佐助の厚恩に感謝し窯跡に佐助を祭る祠が建てられた。

昭和九年(一九三四)窯跡を見下ろすこの場所に移された。

県内有数の窯業地であった神在は戦後の復興と進駐軍地建設による本焼陶管の未曾有の受注で昭和二十二年から僅か八年で生産額は三四○倍となり神在港に出入する船舶は年間千隻以上にも上った。

工業の近代化で勢いよく昇った黒煙も消えてゆき昔の面影は何も残っていない。窯神社が嘗ての繁栄の唯一の証として瀬戸内海を望むこの高台にある。

 

▼所在地、住吉神社

高松市神在川窪町:〒761-8003

 

▼船玉神社、窯神社

 

 

▼バス停「神在口」で降車、県道16号線を西北方向に進み次の信号交差点を右折

 

▼香西北町を北に進む-1

 

▼さぬき浜街道の信号交差点を直進横断

 

▼さぬき浜街道の信号交差点の右(東-高松)方向、左(西-坂出)方向

 

▼香西北町を北に進む-2、右側のお宅に注目

 

▼右側のお宅の金鳥・キンチョールの広告板、垣根の樹木

 

▼住吉橋(住吉川)を渡る、住吉橋の欄干と住吉川の下流方向

 

▼神在川窪町に入った、神在川窪町を北西方向に進む-1

 

 

▼神在川窪町を北西方向に進む-2(左奥の住吉神社に寄る)、住吉神社-1

 

▼住吉神社-2

 

▼住吉神社-3

 

▼住吉神社-4

 

▼住吉神社-5、住吉神社を後にして船玉神社へ向かう

 

 

▼神在川窪町を北西方向に進む-3、次の三叉交点を右折

 

▼次の四差交点を左折、神在川窪町を東北方向に進む(右側は神在川窪漁港)

 

▼神在川窪漁港

 

 

▼左奥に船玉神社が見えて来た、船玉神社に着いた

 

▼船玉神社と案内板・奥に石碑、案内板「菅原道真公と牛ノ鼻」

 

▼石碑(皇紀二千六百年記念)-「憂岬」の彫り込みがある、石碑-裏面(皇紀二千六百年記念)

 

▼船玉神社から見る神在海岸と北方向のパノラマ景

▼船玉神社を後にする、窯神社へ向かう

 

▼右側に「牛ノ鼻」の説明板(ミラーマーキング)、「牛ノ鼻」の説明板

 

 

▼神在川窪町を西北方向に進む-中央奥は神在鼻、次の交点を左折

 

▼堤防から見る神在海岸と奥の瀬戸内海のパノラマ景

▼窯神社へ進む-1、車道の交点を右折

 

▼窯神社へ進む-2、次のT交点を左折

 

 

▼窯神社が見えて来た、窯神社に着いた

 

▼窯神社-1(昭和天皇御即位記念一九二八年十一月十日と窯神社の説明石碑)

 

▼窯神社-2

 

▼窯神社-3

 

▼窯神社-4

 

▼窯神社-5

 

 

▼窯神社を後にする、帰路のバス停「神在口」へ向かう(T交点を右折)

 

▼神在川窪町を南東方向に進む

 

▼船玉神社への三叉交点を南方向へ直進、バス停「神在口」まで往路を進む

 

▼右に住吉神社、住吉橋(住吉川)を渡る

 

▼さぬき浜街道を南へ横断、県道16号線信号交点を右折

 

▼上りのバス停「神在口」が見えて来た、バス停「神在口」から帰宅の途に就いた

 

 

 

<akijii展-(494)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-01

今報は無題aで、所要時間は285Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.937-2/2をご覧ください。