Vol.931-3/3 R巻頭-43。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:18<有岡古墳群> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.931-2/3に続けてご覧ください。

 

<歴史遺産-3>

大門通り(ゆうゆうロード)の南詰め交差点に戻り、南の上り坂を進むと、道沿い西に丸山(北向)八幡宮が有り、社殿が「丸山古墳」(5世紀中頃)の上に建てられている。

 

▼丸山(北向)八幡宮、鶴ケ峰4号墳と丸山古墳の説明板

▼丸山(北向)八幡宮-注連柱と境内、社殿

 

▼丸山古墳

 

 

前方部と後円部のくびれ付近(本殿の西下)の硬化した土の塊は、土ににがりや灰をまぜ、それを版築(はんちく)技法で突き固めた版築土壌である。

 

▼丸山(北向)八幡宮本殿、版築土壌

 

 

<歴史遺産-4>

更に南へ350mほど進むと峠の頂上に樽池が有り、その東に「鶴が峰4号墳」(5世紀前半)が有る。

 

▼左側に樽池・後ろに筆ノ山・我拝師山・中山、樽池と鶴ケ峰

  

▼四国学院大学のサッカー場入口、鶴が峰4号墳(web引用-水彩画風変換)

鶴ケ峰4号墳の入口と思われたが、探訪は困難と諦めた。

 

 

<歴史遺産-5>

鶴ケ峰より東の磨臼山(すりうすやま)の「磨臼山古墳」(4世紀後半)から出土した「割竹形石棺」は、造付石枕を彫り込み、その両側に勾玉状の飾りを浮彫りした丁寧な造りとなっている。

石棺としては県内唯一の国の重要文化財で、善通寺市民会館のロビーに展示されている。

 

▼市民会館ロビー展示-古墳の説明板、土割竹形石棺-1

 

▼市民会館ロビー展示-割竹形石棺-2、割竹形石棺の説明板

 

▼磨臼山古墳-熊ケ池の奥に磨臼山、織姫の看板と磨臼山古墳の説明板

 

▼磨臼山古墳-説明板、古墳の探訪へ

▼磨臼山古墳-丸亀市から宇多津町までの眺望、道路の左側に綾姫の看板と岩群

 

▼磨臼山古墳-磨臼山へ登る-1、送電鉄塔の向うに天霧山が見える

 

▼磨臼山古墳-磨臼山へ登る-2、磨臼山古墳か?

 

▼磨臼山古墳-石柱文字は旅順陥落記念・この巨岩は何だろう、磨臼山古墳(web引用-水彩画風変換)

探索困難と諦めて下山した。

 

 

<歴史遺産-6>

樽池から「大麻山(おおさやま)」(616m)山頂へ進むと、中腹の中世山岳寺院の野田院跡の市営キャンプ場に「野田院古墳」(推定3世紀後半)が復元されている。

海抜405mの立地は、県内では特出して高く、高所へ多くの労働力を動員できる首長が平地に存在した事を物語っている。やや撥(ばち)状の前方部は盛土だが、竪穴式石室2基がある後円部は積石である。

 

▼樽池と大麻山、大麻山ハイキングコース総合案内板

▼野田院古墳(復元)-1(web引用-水彩画風変換)

 

▼野田院古墳(復元)-2(web引用-水彩画風変換)

 

 

大麻山山頂は4月中旬にヤエザクラが満開となり、展望台から丸亀平野の溜池群や条里制の区画が眺望できる。

 

▼県道24号線からの大麻山、我拝師山からの大麻山

 

▼延々と続く桜並木

 

▼10本ぐらい並ぶ電波塔

 

▼展望台

 

▼瀬戸内海国立公園の案内板、展望台からの眺望

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀