Vol.931-2/3 R巻頭-43。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:18<有岡古墳群> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.931-1/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-中讃:18<有岡古墳群>

 

26.有岡古墳群 <撮影:2014.09.02 and 2017.08.05>

善通寺市の市街地が見渡せる場所にある古墳群で、弘法大師の祖先ともいわれる豪族の墓群とも言われています。善通寺市では大小約400基の古墳が確認されています。なかでも有岡(ありおか)古墳群は同じ系統の首長墓とされる古墳が集まっていて、1984年(昭和59)に国の史跡に指定されました。       (善通寺市HPより)

 

<所在地・外観>

有岡古墳群-善通寺市善通寺町・生野町

▼有岡古墳群-王墓山古墳、宮が尾古墳-首長墓が集中する「王家の谷」

 

▼有岡古墳群-丸山古墳、鶴ガ峰4号墳(web引用-水彩画風変換)

 

▼有岡古墳群-磨臼山古墳出土割竹形石棺、野田院古墳(web引用-水彩画風変換)

 

 

有岡古墳群」として前方後円墳5基(王墓山古墳・丸山古墳・鶴ガ峰4号墳・磨臼山古墳・野田院古墳)と円墳1基(宮が尾古墳)が国史跡に指定されている。

 

<概 要>

善通寺の南大門から南へ、赤レンガの自衛隊営舎(旧師団の兵器庫)前の大門通り(ゆうゆうロード)を進み、南詰め交差点を右折して、県道24号線を経て県道49号線を西へ進むと大日峠、途中で左折して県道24号線を南西に進むと麻坂峠に至る。この2本の県道の通る弘田川流域の谷間が有岡地区である。

 

<歴史遺産-1>

大門通り(ゆうゆうロード)南詰め交差点から県道24号線を西に進み、途中から南にまた、西へ進むと右手に全長46mの前方後円墳「王墓山(おうはかやま)古墳」(6世紀前半)の後円部が小山のように見える。

 

▼王墓山古墳の遠景

 

玄室に石屋形(棺安置施設)を設けているが、このような古墳は四国・瀬戸内地域では稀である。

 

▼王墓山古墳-県道24号線から右折進入、王墓山古墳-説明板

 

▼王墓山古墳-墳丘、石室の入口

 

▼王墓山古墳-発掘調査録、石室

 

▼王墓山古墳-墳丘の頂部、墳丘頂部から見る善通寺市街

 

▼王墓山古墳-墳丘頂部から見る我拝師山・中山・火上山、墳丘と飯野山

 

 

金環・銀環(耳飾り)などの装飾品や銀象嵌入(ぞうがんいり)鉄刀、馬鈴、全国初の金銅製冠帽(かんぼう)が出土した。(いずれも善通寺市立郷土館で展示)

 

▼王墓山古墳-出土品(web引用-水彩画風変換)

▼王墓山古墳-出土冠帽、復元した冠帽(web引用-水彩画風変換)

  

 

<歴史遺産-2>

王墓山古墳から更に西南へ1㎞ほど進むと、道沿いに周濠(しゅうごう)をもつ円墳の「宮が尾古墳」2基(7世紀初頭)が有る。「1号墳」(国史跡)の奥壁に、家・人物群・船群・騎馬人物・羨道(せんどう)の左側壁に2体の武人が線刻され、本葬までの殯(もがり)の様子や他界への旅路を描いたものとみられ、古墳横に石室を原寸大に復元している。

 

▼宮が尾古墳公園、宮が尾古墳-説明板

 

▼宮が尾古墳と我拝師山・中山・火上山、古墳の全景-1

▼古墳の全景-2

 

▼各説明物、古墳が造られた時の想像図

 

▼1号墳丘、横穴式石室

 

▼奥壁の6人の人物像、奥壁の船(web引用-水彩画風変換)

 

▼西側壁の武人像(web引用-水彩画風変換)

▼横穴式石室・原寸大復元模型

▼横穴式石室・原寸大復元模型-左側、右側

 

▼2号墳、2号墳の説明

 

 

引き続き、Vol.931-3/3をご覧ください。