Vol.906-2/2 R巻頭-18。歴史(観て歩き)レポ-東讃編:18<平賀源内記念館> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.906-1/2に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-東讃:18<平賀源記念館

 

26.平賀源内記念館 <撮影:2011.07.22>

この記念館は、これまで源内に関する資料を展示していた平賀源内先生遺品館が手狭であったことから、近隣にあった旧銀行の建物を改装し、名称を変え、平成21年3月、移転・新装オープンしたものです。

現在の志度(旧志度町)で生まれた江戸時代の奇才、平賀源内。発明の才に富み、洒脱の気風があった源内は、エレキテルの復元、本草学の著書、戯作浄瑠璃を発表したり、西洋画や源内焼を広めたりと天才的な業績を残しています。

その源内が残した発明品や著作は、「平賀源内記念館」に陳列されています。

館内は、全国各地で活躍した源内の業績を場所ごとにたどることができ、そのほか、映像で紹介する「源内奇才劇場」やエレキテル体験ができるコーナーなどもあります。           (さぬき市観光協会HPより)

 

<所在地・外観>

平賀源内記念館-さぬき市志度587-1

▼平賀源内記念館-発明の才に富んだ平賀源内のすべて、エレキテルも復元

 

JR志度駅前から国道11号線を渡って北へ150mほど行き、東に曲がり、志度寺の方向に旧志度街道(源内通り)を進むと、すぐ北側に「平賀源内記念館」がある。

 

<概 要><歴史遺産>

平賀源内と言えば、香川県では空海に次いで有名な歴史上の人物であり、江戸の奇才である。

源内の家は高松藩士として志度の米蔵番を勤める家柄であったが、家督を義弟に譲って江戸へ出たのは、1756(宝暦6)年である。

本草(ほんそう)(薬草)学者田村藍水(らんすい)に師事し、湯島(現、東京都文京区)で開催された薬品会(え)で名前が知られるようになり、鉱山開発や浄瑠璃の創作などでも多才ぶりを発揮した。

館内には、「志度高松」「長崎」「伊豆・秩父・秋田」「江戸」と、活躍した場所ごとに関連資料が展示され、中でも静電気発生装置であるエレキテルは、単なる外国品の復元ではなく、源内の工夫が加えられている。

 

▼高松市田町商店街アーケード画(平賀源内)、記念館外観

 

▼記念館入場券、記念館パンフ-1

 

▼記念館パンフ-2

 

▼館内-1

 

▼館内-2、重厚な油彩

 

 

源内焼きは、讃岐の陶芸に影響を与えたのみならず、日本の陶芸史に独特の1ページを加えている。源内には幕臣になろうとする志が有ったが、高松藩から他家への士官を許されず、傷害事件から獄中の人となり、命を終えた。

 

平賀源内記念館前の源内通りを西に550m行くと、「平賀源内旧邸」と薬草園がある。

 

▼旧邸外観、ホルトノキ

▼旧邸内部、重厚な油彩

 

▼エレキテル

 

▼絵伝-1

 

▼絵伝-2

 

▼絵伝-3

 

▼薬草園

 

 

邸横には源内の銅像(小倉右一郎作)が立っており、親交のあった杉田玄白の墓碑銘「嗟(ああ)非常ノ人、非常ノ事ヲ好ミ、行ヒ是レ非常、何ゾ非常ノ死ナル」が刻まれている。

 

▼源内の銅像、杉田玄白の墓碑銘

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀