Vol.906-1/2 R巻頭-18。歴史(観て歩き)レポ-東讃編:18<平賀源内記念館> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

宮池の水面5景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-018 Orignal掲載日:Vol.038 (2011.03.15)

夢を本気で信じたことはあるのか?

 

11/01/05 Vol.025で、「問題はやっているのが何かではなく、何かに打ち込んでいる姿勢そのものです」と提議したが、今の現況をご自身で確認をするために届けます。

 

夢や目標を本気で目指すと、すべてが変わる。

運は誰にでも流れているがそれを掴むか、掴まないかの違いである。

明日死ぬと思って、今やれる事をやり尽くし、それでダメなら仕方ない。その開き直りが自信につながる。ここまでダッシュと思ったら、最後まで全力で走るのである。1m手前で力を抜いたせいで負ける事もある。

 

プレッシャーは重力のようなもの、重力がないと筋肉も骨もダメになる。

重力があるから自分が強くなる。                            

人にどう想われても、人に批判されても良い。最後に家族が信じてくれればそれで良いのだ。
スランプや失敗が続いても、調子が良かった過去を振り返ってはいけない。今、躓いているのは、もっと高い場所へ行こうとしているからだ。本当にどうしょうもない状況に陥った時には、ここが分かれ道だと思う事だ。

 

ここで投げ出すか、踏ん張れるかだと…。

どん底に落ちて、始めて気付く事もある。危ない危ないと言って、リスクを避けてばかりの社会は、人の生きる力を弱める。夢なんて何だっても、どんなに小さな事だって良い。その一歩で、また次の夢が見えてくる。

まずは一歩を踏み出すことが肝要なのである。

そう信じ、「一歩から365歩のマーチ」へ一緒しよう。

 

 

<高くがる空間>

芝山(香西北町)から見る屋島の上空。

芝山神社参道階段から見る藤尾山・薬師山の上空。

芝山大橋(香西北町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの山間に実を付けたアカメガシワ(赤芽柏)

春に鮮やかな紅色の若葉を展開させ、5月末~6月の初夏に黄色い花を咲かせる。

 

アカメガシワは、雌雄異株(しゆういしゅ)で1つの株に雄花・雌花のどちらかしか付けないタイプの植物で、果実は7月頃からでき始める。

蒴果(さくか)と云われ熟すと裂けて種子を散布するタイプの果実である。8月頃になると果実の果皮が3つに裂けて、黒紫色で光沢のある4㎜ほどの種が顔を出し、つやつやしていてとても綺麗な実で、余り美味しそうには見えないが、鳥は好んで食べる。

 

見た目の通り種子は硬く、簡単には落下しないため、鳥に食べられなかったものは花序ごと落下する。このアカメガシワの種子はとっても頭が良く、種子の表面に油脂があるため、長期間土の中で休眠して、伐採などの攪乱から身を守ることができる埋没種子で、落ち着いたタイミングで、繁栄することができる賢い植物である。

 

◇ウォーキングコースの山間に実を付けたウルシ(漆)

 

◇ウォーキングコースに咲き続けるヒメジオン

◇ウォーキングコースに咲くオシロイバナ

 

◇新居宮池の堤防に咲くランタナ

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<萬燈神社・真教末澤城跡  

国分寺町新居の萬燈神社、真教寺、末沢城跡(万灯城跡)を探索した。

 

▼所在地、萬燈神社

高松市国分寺町新居〒769-0101

 

▼真教寺、末沢城跡(万灯城跡)

 

 

▼自宅を出発し県道33号線を横断、JR予讃線・瀬戸大橋線の踏切を渡る

 

▼野間川を渡る、国道11号線を横断

 

▼次のT交点を左折、国分寺中学校前を東に進み次の交差点を右折

 

▼次のT交点を左折し萬燈神社へ進む、萬燈神社へ向け東方向に進む(右奥に六ツ目新池)

 

▼萬燈神社へ進む、萬燈神社の鳥居が見えて来た

 

 

▼萬燈神社の階段下に着いた(自宅から1.9km)、萬燈神社の石階段を上る-1

萬燈神社は、JR予讃線・端岡駅の南1.2km程の辺り、国分寺町新居の街外れ、小さな山の頂に鎮座している。

御祭神、由緒等不明。

 

▼鳥居の左側奥に御旅所(鳥居扁額-万燈大明神)、萬燈神社の石階段を上る-2

 

▼萬燈神社の石階段を上る-3、左右は車道

 

▼萬燈神社の石階段を上る-4、萬燈神社の境内に着いた

 

▼萬燈神社-境内1

 

▼萬燈神社-拝殿

 

▼萬燈神社-本殿、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

 

▼萬燈神社-境内2

 

▼萬燈神社から下りる-1

 

▼萬燈神社から下りる-2

 

▼国分寺町新居の街並み、萬燈神社から下りた

 

 

▼真教寺へ進む-1

 

▼右奥に真教寺が見えて来た、真教寺へ進む-2

 

 

▼真教寺の門前に着いた、真教寺-1

真教寺は、慶長年間(1596~1615年までの期間)に道場として開基後、元和6年(1620年)、正林寺(のち真教寺)は道恩という僧侶が建立したとされております。真教寺について古く歌われた歌で、「ここは万灯の真教寺か、御所のお庭か、極楽か」と庭園の美を讃えたもののようであり、昔より花の寺として知られている。

 

▼真教寺-2

 

▼真教寺-3

 

▼真教寺-4

 

▼真教寺-5

 

▼真教寺-6

▼真教寺-7

 

▼真教寺-8

 

 

▼末沢城跡(万灯城跡)へ進む、末沢城跡(万灯城跡)に着いた

 

 

▼末沢城跡(万灯城跡)-1(パノラマ景)

末沢城跡(万灯城跡)は、国分寺中学校前を東西に伸びる道(萬燈寺参道)を東に登って行くと楠木の大木が数本生える御宅(万灯城主末裔、新ノ居氏宅)が城跡になる。この万灯地区は殆どが末沢姓でその中の一軒のみが新ノ居姓で、「末沢城由来記」「申伝由来記」「家系図由来書」等々が伝え保存されている。

初めは万灯氏を名乗っていたが応仁の乱で細川勝元に従い軍功をあげた資忠が勝元より末沢の姓を賜わったと伝えられ、天正時代の資規の時代に土佐の長宗我部元親軍に降ったとある。

城は子孫が居住し建物や堀等は度々手を加え延享四年(1747年)に民家の形に改築、昔の面影が無くなり、江戸末期に旧姓をとり新ノ居姓に改名し現在に至る。

▼末沢城跡(万灯城跡)(H25.09現在の地図)、末沢城跡(万灯城跡)-2

屋敷地の西・北側を囲む古手の石垣が見られるが、かつて西側石垣の中央部は低段に積まれており、そこに大手の門構えがあったといわれる。東側には土塀台が残る。本来は下部を土塁状に固めて土塀を巡らしていたのであろう。

 

▼末沢城跡(万灯城跡)-3

 

▼末沢城跡(万灯城跡)-4、帰宅へ(自宅まで1.7km)

 

 

 

<akijii展-(463)

幸せを呼ぶ切り絵(縁起のよいモチーフ)シリーズ-18

今報は「シで、所要時間は内切画-220分、外枠切画-35分=255Mでした。

沖縄に古くから伝わる守り神、魔除け。口を開いているのが雄で幸福を呼び、閉じているのが雌で幸福を逃がさないそう。神社の狛犬と同じ、獅子がルーツです。

◇原画                                       ◇内切画

 

◇外枠切画(完成作品)

 

引き続き、Vol.906-2/2をご覧ください。