Vol.900-1/2に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-東讃編:12<細川家住宅>
<19.細川家住宅> <撮影:2017.05.22 and 2017.05.28>
細川家住宅は昭和41年5月、この地の民族調査で発見され、同44年の古民家調査によって、香川県東部山間地の農家としての地方色を持った建物として認められ、同46年6月国の重要文化財に指定された。
当住宅は、1間を6尺5寸とした6.5間×3間の長方形の建物である。
間取りは横一列に、上手が竹床のザシキ、次が土間、西側に広い土間(ニワ)を設けた3間取り広間型の古式平面構成である。柱は栗材を使い、多角形のチョウナ仕上げである。ほかの軸部は松材で、小屋組も木が細く古式である。屋根はツクダレと呼ばれ、すべてカヤが使われている。西と北には開口部がなく大壁である。壁はスズメとよぶ竹くさびで横間渡竹を取り付け、小舞竹はたて・よことも割り竹を使って下地をつくり、壁土を塗っている。土座は囲炉裏を中心にして、客の接待、家族の団らん、食事などに使われ、現在の居間にあたるところである。座敷の竹床は、板を作るのに比べて入手が容易なことと、当時の生活習慣との関係から採用されたものである。 (さぬき市HPより)
<所在地・外観>
▼細川家住宅-さぬき市多和額東46
▼細川家住宅-江戸時代の本百姓の住居
JR志度駅からさぬき市コミバスにマイチャリを輪行して、牧場口バス停で下車した。
<概 要>
マイチャリを仕立てて県道3号線を少し南に向かうと、細川家住宅への入口を示す標識が出ているので、東に折れて坂を下り、指示に従って進むと「細川家住宅」(国重文)に着いた。
▼バス停「牧場口」で下車し出発準備完了、細川家住宅へ向かう
▼県道3号線から左側へ入る、次を左折
▼案内板を従って進む-1、右折
▼案内板を従って進む-2
▼案内板を従って進む-3
▼入口に着いた、細川家住宅の説明板
<歴史遺産>
江戸時代中期(18世紀)の民家で、普通規模の本百姓(ほんじゃくしょう)の家として典型的な建て方である。
▼住宅へ訪問
▼母屋と納屋
▼屋根-寄棟の茅葺、ツクダレ形式
▼土壁1-西と北側には開口部無
▼土壁2-南と東側に開口部
間取り構成は、土間・広間・座敷の三間(みま)取りであるが、広間にあたる部分が土間に筵(むしろ)を敷いただけの土座(どざ)であり、古さを示している。
また、細川家は移築されたものではなく、元からこの地に有るので、立地条件も観察できる。
民家は主屋だけでは成り立たない。細川家住宅は、納屋・木納屋(薪などを入れておく小屋)・土蔵・井戸などを含む総合的な住居構成を見るのに相応しい遺構である。
大きな土間と、その土間におかされている唐臼(からうす)などの用具も昔の生活を知る大事な資料になる。
▼納屋-1
▼納屋-2
▼便所、便所と主屋
<関連遺産-1>
屋島の四国村ミウゼアム(旧:四国民家博物館)に移築されている旧山下家住宅(もとは白鳥町の山間部にあった)は、細川家住宅より一回り小さく、小農家の住居を代表しているので、比較してみると良く解る。
▼旧山下家住宅(四国村ミウゼアム)-1
▼旧山下家住宅(四国村ミウゼアム)-2
▼旧山下家住宅(四国村ミウゼアム)-3
▼旧山下家住宅(四国村ミウゼアム)-4
<関連遺産-2>
前山ダムの直ぐ南、「道の駅ながお」の向かいには、「前山おへんろ交流サロン」があり、へんろ資料展示室もある。遍路の歴史や習俗を知るのに学びの場となっている。
▼前山ダム湖、前山ダムの堤体(上流側)
▼前山ダムの天端(てんば)、前山ダムの堤体(下流側)
▼道の駅ながお
▼前山おへんろ交流サロン・資料展示室-1
▼前山おへんろ交流サロン・資料展示室-2
▼前山おへんろ交流サロン・資料展示室-3
▼前山おへんろ交流サロン・資料展示室-4
▼前山おへんろ交流サロン・資料展示室-5
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
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