Vol.898-1/2に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-東讃編:10<富田茶臼山古墳>
<16.富田茶臼山古墳> <撮影:2015.11.06 and 2017.05.04>
富田茶臼山古墳は、みろく自然公園から北方を見下ろす位置にあり、全長139mの四国最大の規模を誇ります。
築造年代は、埴輪の特徴から5世紀前半と考えられています。
大和朝廷との強い結びつきを物語る大型前方後円墳に共通した盾形の周濠と周堤帯が巡る特徴をもっており、この富田茶臼山古墳は、貴重な文化遺産として国指定文化財となっています。 (さぬき市観光ガイドHPより)
<所在地・外観>
▼富田茶臼山古墳-さぬき市大川町富田中3402-3
▼富田茶臼山古墳-航空写真
▼富田茶臼山古墳-四国最大の前方後円墳
JR神前駅から、「みろく自然公園」を目指して県道140号線を進み、筒野西交差点で長尾街道に合流して、更に県道140号線を東方向に進み、大川町富田中交差点に到達する。(約4Km)
ここから県道133号線となるが更に東方向に曲がって0.8Kmほど行くと、前方右側に丘陵が見えてくる。この丘陵が四国最大の前方後円墳、「富田茶臼山古墳」(国史跡)である。
<概 要><歴史遺産>
▼富田茶臼山古墳の案内板
▼みろく通池公園を通り古墳へ上る
▼古墳へ上る(右側に弥勒庵) 、弥勒庵(弥勒菩薩)
▼古墳の頂上が見えた、古墳の頂上
▼古墳頂上の広場、古墳の説明板
▼国指定史跡:富田茶臼山古墳、茶臼山古墳
▼墳丘の南側にある古墳展望台へ上る
▼展望台からの富田茶臼山古墳の全景
▼墳丘の西側から古墳山頂へ-1
▼墳丘の西側から古墳山頂へ-2
▼墳丘の西側から古墳山頂へ-3
墳丘上に円筒埴輪(えんとうはにわ)・家形(いえがた)埴輪・葺石(ふきいし)の有った事が知られている。3基の陪塚(ばいちょう)も見つかり、規模の大きさから5世紀前半の東讃の王墓と考えられる。因みに、陪塚(ばいちょう・ばいづか。陪冢とも記す)とは、日本の古墳時代に建設された古墳の様式である。大型の古墳とともに古墳群をなす小型の古墳で、なおかつ大型の古墳と同一の時代に、その周囲に計画的に建設されたとみなされるものを指す。中心となる大型の古墳に埋葬された首長の親族、臣下を埋葬するもののほか、大型の古墳の埋葬者のための副葬品を埋納するために建設されたものもあると考えられている。
先行する遺跡として、津田湾沿岸の古墳群や奥(さぬき市寒川町神前)・古枝(同市大川町富田西)などの古墳群があるので、それらを凌いで内陸部に成立した巨大な勢力の存在が伺える。
▼津田古墳群-うべの山古墳、けぼ山古墳(web引用)
▼津田古墳群-一つ山古墳、赤山古墳(web引用)
▼古枝古墳-1
▼古枝古墳-2
▼古枝古墳-3
大和朝廷との関係も研究課題だが、まだ本格的な発掘は行われていない。
現在、空濠を切るようにして長尾街道(県道133号線)が通っており、後円部の頂上には妙見神社が祀られている。
▼頂上からの眺望-西北:県道133号線と奥に雨滝山、北:県道133号線と奥に雨滝山と火山
▼頂上からの眺望-西:茶臼山古墳、南:道の駅みろく
▼妙見神社
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
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