Vol.897-1/2に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-東讃編:09<西教寺六面石幢>
<15.西教寺六面石幢> <撮影:2017.04.16>
西教寺の西南に2基の石幢(せきどう)があり、ほぼ完存する東塔に対して西塔は笠から上が無く成っている。
石幢とは、八面あるいは六面をした塔で、灯籠に似たタイプを重制石幢、西教寺六面石幢のようなタイプを単制石幢と云う。
東塔は六面で、銘文が見られるのは二面で、一面には「バク」の梵字があり、梵字はインドの言語だが、日本の石造物では梵字1字で1つの仏様を表している。これを「種子(しゅじ)」と云う。
「バク」は「釈迦如来」であり、釈迦如来が関わった信仰の可能性があるが、はっきりとした事は解らない。
「バク」の横の面には「永和二年」の年号銘があり、1376年の南北朝時代に製作された事が解る。
西塔は各面の幅が不均等で、製作年は銘文から1372年とあり、東塔とは4年の差だが、製作方法の違いが目立つ。各面は5面に2つの種子、1面に3つの種子の計13の種子が有り、時計回りに種子の仏を見ていくと、十三仏信仰である事が解る。
十三仏信仰とは、初七日から三十三回忌までの13回の仏事をする時、13体の仏を配当した信仰である。
経典には十三仏信仰について書かれておらず、日本独自に出来上がった信仰と云える。
十三仏信仰の石造物は室町時代の後半から各地で見られるように成るが、南北朝時代以前のものは少ない。
従って当例は全国的にも初期に製作された十三仏信仰の石造物で有ると評価できる。
これら2基の石幢はかつて門前に有ったと伝わっている(現在地は後の時代に移転されている)。
<所在地・外観>
▼西教寺-さぬき市大川町富田東1809
▼西教寺-南北朝時代の石幢2基
JR讃岐津田駅から国道11号線を東方向に1.5Km進み、津田町津田交差点を過ぎ、2つ目の信号を南に曲がり、県道2号線に入る。
JR高徳線の踏切を越えて坂を上り、相地(あいじ)峠を越える(国道11号線交差点から1.6Km)。
▼国道11号線を東進、JR踏切を渡り県道2号線に入る
▼相地峠を越える
<概 要>
少し下り、「西教寺入口」の標識を見て、西に進み細い道の二番目の三叉交点を右折し北進すると、西教寺の門前に着く(県道2号線の分岐から0.6Km)。
▼相地峠を少し下る、西教寺入口の標識
▼西教寺の門前
▼西教寺-1
▼西教寺-2
▼西教寺-3
▼西教寺-4
<歴史遺産>
門前から坂を下り、少し南に行った所に「西教寺六面石幢」(県文化)がある。
石幢は供養や経塚の位置を示す標識として建てられたもので、この六面石幢が立っている場所は、もと西教寺の門が有った所である(讃岐国名勝図会)。
▼六面石幢-1(web引用-水彩画風変換)
▼六面石幢-2(web引用-水彩画風変換)
<関連遺産>
西教寺の横の道を西北方向に約300m上ると、火山(ひやま)展望遊歩道の入口に着く。
そこから400mほど登ると中腹の岩に薬師像を彫り込んだ磨崖仏が有る。その前に「穴薬師」の堂が立っている。
▼火山
▼奥の院への道
▼火山展望遊歩道の遊歩道の入口、案内板
▼奥の院へ向かう-1
▼奥の院へ向かう-2(七丁石) 、奥の院へ向かう-3
▼奥の院の到着、奥の院
▼穴薬師の堂(磨崖仏-厄除薬師如来像)
▼摩崖仏薬師如来像-1
▼摩崖仏薬師如来像-2
更に50mほど上にも不動明王の磨崖仏がみられ、庶民信仰を集めている。
火山は凝灰岩が採れる山であり、中世の石造物に多く使われている。
▼上へ上る、眼下に穴薬師の堂
▼不動明王の磨崖仏
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
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