Vol.909-1/2 R巻頭-21。歴史(観て歩き)レポ-東讃編:21<津柳の熊野神社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

宮池2景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-021 Orignal掲載日:Vol.042 (2011.04.05)

「入り舞い」を時代に、どう生かす。

 

年寄りが「老い」も見せずに新しい事を始める、新しい事の提案をする、…それを「老いの入り舞い」と言うらしいが、これはおそらく歌舞伎の舞台で、役者が退場する直前に引き返して、もう一指(さし)舞う「入りの舞い」の情景から取ったのであろう。

 

気持ちが若ければいつまでも老け込まない、という言い方もあるが、「老いの入り舞い」には、おっとっと、こんな事で人生におさらばじゃ、では自分の気持ちが収まらない、ひとこと言わせて頂きましょう、もうひと花、たとえ鉢植えの花でも咲かせてみようという、そう「気概」という言葉が相応しい精神的エネルギーを感じるのではないか。

 

一方で「もう、私のような年寄りが出る幕じゃない」とか「年甲斐もなく、しゃしゃり出ても嫌われるばかり」とか、拳をひらひらさせて出番を断る人がいる。

たしかに、「また、あの爺さんか」と顰蹙(ひんしゅく)を買う事があるが、その原因は「爺さん」だからではなく、話がその場にそぐわなかったり、くどかったり、自慢話の響きがあったりするからである。

そうでなければ、若い人たちは、彼らの世界の中では聞くことも見ることもできない、言葉を持っているものである。年をとった人が時として見せる瑞々(みずみず)しさ、それを「穏座(おんざ)の初物」というのだそうだ。江島其蹟(きせき)の「傾城色(けいせいいろ)三味線」という芝居に出てきたというが、昔も今も、年寄りの言ったり、したりする事には、人を動かす何かがあるのだろう。

 

どんな時代にも「老いの入り舞い」「穏座の初物」は必要だが、大切なことは、次の世代の人が「入り舞い」を見て、時代にそれをどのように生かしてゆくか、であろうが…。

・穏座(おんざ)の初物」とは、時期に遅れて実るため、初物と同じくらいに珍重される果物や野菜。終わり初物。

・傾城色(けいせいいろ)三味線とは、浮世草子。5巻。江島其磧(えじまきせき)作。元禄14年(1701)八文字屋刊。遊里と遊女を描いた24話を収める。

 

 

<高くがる空間>

郷東町から見る郷東大橋と奥に石清尾山・紫雲山・浄願寺山の上空。

郷東町から見る弦打港東防波堤灯台の上空。

郷東町から見る新北町の北端と奥の屋島と高松シンボルタワーの上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース3箇所のススキ(芒、薄)

ススキは日本の秋の情緒を代表する花だと言われ、熟すにつれ白銀色から金色に変わり、風に揺れる花穂は、枯れゆく前の命の華やぎと、寂寥感とを同時に感じさせてくれ、お月見には欠かせない植物で、花穂や長い葉が描く緩やかな弧と満月は、絶妙のハーモニーを奏でる。

 

別名/オバナ、カヤ/学名Miscanthus sinensis/英名silver grass

イネ科ススキ属の多年草で日本・中国・朝鮮半島・台湾が原産で、日当たりのよい山野に分布する。

屋根を葺く材料として、他のイネ科植物と共にカヤという総称で呼ばれ、草丈は1~2mである。

ほかに小型のイトススキ、葉に斑(ふ)が入ったタカノハススキなどの種類がある。

花期は8~10月。長さ20~30㎝ほどの総状花序を伸ばし、10数本の総(ふさ)の節ごとに、1対の小花からなる小穂(しょうすい)を多数つける。

 

ススキの漢字には「芒」「薄」の2字があるが、本来の漢名は「芒」。和名の由来については、諸説あり「すす」は「真っすぐ」や「すくすく成長する」という意味で、「き」は「茎」や「木」を表すと云われる。

別名に「尾花」があり、穂が風になびく動物の尾を思わせることに由来する。

秋の七草の一つ、秋の月見のおそなえとして欠かせないもので、中秋の名月(十五夜)には収穫物と一緒に供えられるが収穫物を悪霊から守り、翌年の豊作を祈願する意味がある。

 

「常磐(ときわ)すすき」という種類は「すすき」に比べて開花が早いため、真夏の頃から穂を楽しめる。花言葉は「心が通じる」である。

 

◇ウォーキングコースで長く咲き続けるコマツナギ()

 

◇近所のお宅に咲くサルスベリ

 

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<春日神社(国分寺町新名)

御祭神は、武甕槌命・齋主命・児屋根命・姫大神で、弘仁年間(810〜824年)の創祀と云われる。

延享四年(1748年)の藩主の神社調査に対する上書に「新名村氏宮春日四社大明神右人皇五十二代嵯峨天皇弘仁年間勧請也」とある。伝えられるところによれば、現社地の西北六七町にある野揺(のゆる)に鎮座していたが天正十一年(1584年)長宗我部元親軍の兵火に罹り社殿、旧記等を焼失してしまい、その後現在地に奉遷されたようである。

旧社地(野揺)には現在も焼宮・神庭・太夫道等の地名が残っている。

古来より新名村の氏神であり「春日四所大明神」または「春日四社大明神」と称えられている。

 

▼所在地、春日神社参道口の社号標

高松市国分寺町新名〒769-0104

 

▼春日神社-由来、本殿

 

 

▼自宅を出発(左は国分寺北部小学校)、国道11号線交点を右折

 

▼国道11号線を西方向に進む-1、国分寺総合センター前交差点を西に渡る

 

▼国道11号線を西方向に進む-2(次の交点を左折)、国分寺町新居を南方向に進む

 

▼国分寺町新名を南方向に進む-1

 

▼国分寺町新名を南方向に進む-2

 

▼国分寺町新名を南方向に進む-3(次の三差路を左折)、春日神社の参道口の社号標の前に着いた(自宅から3.1Km)

▼春日神社:参道を進む-1(鳥居の扁額-春日神社)、参道を進む-2

 

▼左側に御旅所、春日神社:参道を進む-3

▼春日神社:参道を進む-4、神門が見えて来た

 

▼春日神社:参道を進む-5、神門に着いた

▼春日神社:神門を潜り境内に入る、境内の石段を上がる

 

▼春日神社:忠魂社

 

▼春日神社:境内-1、手水舎

 

▼春日神社:境内-2、由来

 

▼春日神社:拝殿へ上がる、拝殿-1

 

▼春日神社:拝殿-2

 

▼春日神社:拝殿3

 

▼春日神社:幣殿と本殿、本殿

 

▼春日神社:境内-3

 

▼春日神社:境内-4、祓舎
 

▼春日神社:記念碑、境内-5

 

▼春日神社:東方向への参道-1

 

▼春日神社:東方向への参道-2、東方向の鳥居(扁額-春日社)

 

▼ウォークの経路図「D春日神社-ハラハラコース」、帰宅へ-1(自宅まで3.4Km)

 

▼国分寺町新名を北方向に進む、左奥に満善寺の屋根が見える-立ち寄る

 

▼満善寺へ進む、満善寺に着いた

 

 

▼満善寺-1

満善寺は、宗派名「真宗大谷派」である。

▼満善寺-2

 

 

▼右奥にだんご山3兄弟の伽藍山(次男)と六ツ目山(長男)、帰宅へ-2

 

 

 

<akijii展-(466)

幸せを呼ぶ切り絵(縁起のよいモチーフ)シリーズ-21

今報は「ハチドリ」で、所要時間は内切画-265分、外枠切画-85分=350Mでした。

幸運を運んでくると言われる、体長5cmほどの小さな鳥。

南北アメリカ大陸、カリブ海諸島などに生息し、ペルーのナスカの地上絵の鳥としても描かれています。

◇原画                                      ◇内切画

 

◇外枠切画(完成作品)


引き続き、Vol.909-2/2をご覧ください。