Vol.903-1/2 R巻頭-15。歴史(観て歩き)レポ-東讃編:15<長尾衝上断層> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

風が描いた宮池の水面。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-015 Orignal掲載日:Vol.031 (2011.02.05)

もっと長いスタンスで人生ってものを、捉えてみませんか。

 

困ったことに、人間っていうのはいつまでたっても競争から抜けられません。どっちが美人か不美人か、どっちが成績がいいか、就職はどっちが一流会社か、どっちがモテるか、……と際限なく続いてゆく。そしてそれによって一喜一憂して落ち込んだり優越感に浸ったりしてしまう。

時には相手の不幸にほくそ笑んでる自分を見つけ愕然としたりする。自分はなんていやな人間なんだろう…なんて。ああ、やだやだ。さっさと抜けましょう、そんなものから。

 

だって、どんなに競ったって、結果なんか解るはずがないんだもの。解るのは死ぬ時。死ぬ間際「ああ生きて来てよかった」と思えれば、それが大勝利ってことなんだから。

人生って、終わってみると白星と黒星がたいがい同じくらい。全勝することもなければ全敗することもない。相撲で言えば、8勝7敗か7勝8敗のどちらかみたいなものだ。結局はそんなものだ。だったら、目の前の勝つ負けに捉われず、人生をもっと長いスタンスで捕えてみませんか。

 

目先の勝ち負けにこだわり過ぎていると、大切なものを見落としてしまうような気がします。

いいじゃないですか、人は人。自分は自分の人生しかおくれないんだから。

 

 

<高くがる空間>

衣懸池と石清尾山・浄願寺山の上空。

衣懸池に映す袋山とその上空。

衣懸池の堤体から見るだんご山3兄弟の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇我が家の庭に咲くレモンバ

シソ科の多年生のハーブ、南ヨーロッパが原産で、和名は香水薄荷(コウスイハッカ)、西洋山薄荷(セイヨウヤマハッカ)、香水山薄荷(コウスイヤマハッカ)、メリッサソウ。

 

食べ物や飲料の香り付けや、ハーブとして医療に利用されてきた。

開花期は6~7月で、花色は白色である。

 

◇ウォーキングコースの畑に咲くヒャクニチソウ・グラジオラスなど

 

◇ウォーキングコースのK宅に咲くカラー・キャップテンカルソ

 

◇ウォーキングコースの畑に咲くグラジオラス

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<分八幡宮田宮坊太の墓

国分八幡宮は、香川県高松市国分寺町国分に鎮座している神社で天正年間に長宗我部氏の讃岐侵攻により兵火に罹り社殿宝物等焼失、慶長二年高松藩主生駒親正が再興し、寛永二年大地震の為め本殿壊頽せしを以て造営、万治年間炎上、祠官守口左近神慮に因り岩川山上に神殿を造営して奉遷す。現今の社殿之なり。

爾来岩川八幡宮と称えられ、現在は國分八幡宮と奉称す。

 

江戸初期の剣豪・田宮坊太郎(田宮流小太刀の達人)の墓(塚)が神社東側の山麓にある。
紀伊徳川家の重臣の血を引きながらも、讃岐国丸亀藩士であった父・源八郎を同じ藩中の遺恨から藩の剣術指南役・堀源太左衛門の卑劣な剣の前に果てた父の仇を討つため、柳生宗冬について修行。

18歳の時に丸亀の八幡社境内(山北八幡の説もある)で仇を討ったという。若くして敵を討ったと思ったらほどなく死んでしまうのです。病没したとも、上野山内観成院で自刃したともいう。

 

▼所在地、國分八幡宮社殿

高松市国分寺町国分〒769-01-02

 

▼磐座、裏参道口の鳥居と大石灯

 

▼田宮坊太郎の墓の石碑と五輪塔、田宮坊太郎墓所(丸亀市)

 

 

▼県道33号線を西方向に進み次の交点を右折、道なりに進み右にカーブする

 

▼国分八幡宮の表参道口に着いた(自宅から2.0km)、一の鳥居(扁額-國分八幡宮)と狛犬

社殿前まで階段100段、距離222mを進む。

 

▼右に御旅所、社殿前へ進む-1

 

▼社殿前へ進む-2(正面奥に二の鳥居)、二の鳥居(扁額-岩川八幡神社)

▼社殿前へ進む-3(奥に神門、右側に末社-祓戸神社)、末社-祓戸神社

 

▼左奥に社務所、神門-1

 

▼神門-2

 

▼社殿前に着いた、手水舎

 

▼拝殿

 

▼境内-1、結びの岩

 

▼境内-2、⇦磐座

▼末社、本殿

 

▼磐座へ進む

 

▼縁切塚

▼左に本殿と磐座、磐座を周回-1

当宮本殿の真裏には、古来よりの霊地であり、古代の祭祀跡とされる磐座(いわくら)があります。

御神体として磐座を祀ってある神社は、香川県では当宮だけであり、大変めずらしいものです。
ここは、一般の人は足を踏み入れることが出来ない禁足地でもあります。古くは白蛇の生息地でもあり、現代に至っても数年に一度、姿を現します。この白蛇にまつわる言い伝えも宮司家には残っています。明治初期、磐座の中から、古い鏡や勾玉が見つかり神社に大事に保存していたらしいのですが、戦中に、その所在が不明となり、残念でなりません。
当宮の磐座は、元来、大きい岩が数個だったようですが、長い年月の間に割れたり風化するなどして、大小交じり合った磐座を形成しています。その形成状態について「人口で造られたもの」「自然の状態で造り上げられたもの」という二つの意見があった時期もありましたが、結論は出ず仕舞いでした。磐座内には、磁場が出来ている空間もあり、掃除の折等にその場所に足を踏み入れると、言葉では言い表せない霊気を感じます。(國分八幡宮HP抜粋)

 

▼磐座を周回-2

 

▼磐座を周回-3

 

▼磐座を周回-4

 

▼國分八幡宮略記、裏参道口の大石灯籠へ

 

 

▼裏参道口の鳥居と大石灯籠-1、正面奥に宮池

 

▼裏参道口の鳥居と大石灯籠-2、大石灯籠

大石灯籠は県道33号(旧道)中西交差点より100m位北に建っていた。平成21年7月15日に倒壊の危惧に住民が国分八幡宮裏参道に移築されています。移築工事中に火袋から古銭が発見されました。

お賽銭だろうか?この大石灯籠には慶應二(1866年)丙寅年吉日 願主 氏子中と記してあります。

130余年たった今でも鑑賞に耐える立派な石燈籠です。

 

 

▼田宮坊太郎の墓へ-1

 

▼田宮坊太郎の墓へ-2、田宮坊太郎の墓の石碑が見えた

 

▼田宮坊太郎の墓の石碑と五輪塔、田宮坊太郎の墓の石碑

田の字が削られている。何故くり抜かれているのだろうか。

 

▼田宮坊太郎の墓-1

 

▼田宮坊太郎の墓-2

 

▼國分八幡宮表参道口へ戻る

左奥にだんご山3兄弟と堂山が見える。

 

▼國分八幡宮表参道口に戻った、帰路に就く

 

 

玄要(禅)寺は丸亀市南条町にある臨済宗妙心寺派のお寺で、墓地には「田宮坊太郎」の墓がある。

2017.09.03撮影の写真を掲載します。
▼田宮坊太郎の墓の説明板

▼田宮坊太郎墓所の石標と墓の説明板、田宮坊太郎墓所

 

 

 

<akijii展-(460)

幸せを呼ぶ切り絵(縁起のよいモチーフ)シリーズ-15

今報はで、所要時間は内切画-285分、外枠切画-30分=315Mでした。

日本では黒猫は「福猫」と言われ、江戸時代には病気を治してくれるとの言い伝えも。

魔除けや商売繁盛のご利益もあるので、家にやって来たらラッキーですね。

◇原画                                       ◇内切画

 

◇外枠切画(完成作品)

 

引き続き、Vol.903-2/2をご覧ください。