Vol.902-1/2 R巻頭-14。歴史(観て歩き)レポ-東讃編:14<長尾寺・宝蔵院極楽寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

遊歩道の南西端から見る宮池と奥に袋山。

遊歩道の東北から見る宮池と奥に鷲ノ山。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-014  Orignal掲載日:Vol.028 (2011.01.20)

日本を洗濯したい。

 

1866年1月21日に、龍馬立ち会いのもと、薩長連合が成立した。
欧米列強諸国から開国を迫られていた幕末の日本。硬直する徳川幕府に代わる新政権が求められたが、強い勢力を持つ薩摩藩、長州藩ともに単独で幕府に代わるほどの力はなかったし、この二藩は互いに憎み合い、激しい争いを続けていた。新しい時代を切り開くためには、この二藩が手を結ぶしかないと考えた坂本龍馬は、粘り強く説得して不可能と言われた薩長連合を成立させた。家族への手紙に「日本を今一度、せんたくいたし申候(もうしそうろう)」と綴った龍馬の働きは、日本の歴史を大きく動かすこととなった。

 

最近注目を集めているのが、橋下大阪知事が掲げている「大阪都」をつくる構想である。
大阪府と大阪市などを統合・再編して今の東京都のような自冶制度をつくる案だ。

府と市はかねて「府市あわせ(不幸せ)」といわれる関係だ。指揮官を知事に一本化する計画である。愛知県と名古屋市を合体させる「中京都」構想も飛び出した。こちらを提唱するのは名古屋の河村市長だ。今年は統一地方選がある年だが、橋下、河村両氏ともに自らを代表とする地域政党をつくり、今後の選挙での連携を打ち出し、河村氏いわく、「平成の薩長同盟」だそうだ。

行政を効率化して大都市の活性化を狙う意気込みは評価されるだろうが…。

 

<特集---先例なき時代に立つ-かつての奇跡は外圧から>

過去2度の奇跡は、海外からの発力を受けて危機感が強まり、国内が一致団結したことで実現した。

最初の奇跡は明治維新だ。

265年続いた徳川幕府による支配体制は、ペリーが黒船で来航した15年後に終わりを告げた江戸末期、欧米諸国は日本に開国を求めた。薩摩藩と長州藩などは倒幕へと向かい、1868年に明治新政府が誕生した。19世紀後半にアジア各国が欧米諸国に植民地化されるなか、明治新政府は国家の独立を守り、欧米列強と対等になることを課題に掲げた。幕末以来の不平等条約を改正し、関税自主権の確立などが目標となった。スローガンは「富国強兵」。明治維新からほぼ40年後に日露戦争が起き、これに勝利して国民の大国意識も刺激された。

 

第二の奇跡は、第二次世界大戦での敗戦後、廃墟から立ち直る過程から始まった経済成長だ。

1950年代には朝鮮戦争による特需が景気回復を支え、56年には経済白書が[もはや戦後ではない]とうたった。60年には「所得倍増計画」を打ち出し、人々が日々豊かさを実感する時代がやってきた。

国民皆保険、皆年金制度が始まったのも61年だ。また73年には「福祉元年」を宣言した。

日本がひたすら経済成長に専念できたのは、日米安全保障条約を基本にして、冷戦構造の枠組みの下で米国に守られたことが大きい。

ただ71年に日本も円切り上げや変動相場制の導入で国際収支の黒字是正を迫られ、73年の第一次石油危機後、戦後初のマイナス成長を経験する。80年代には、日米貿易摩擦が起き、85年のプラザ合意後は金融緩和や景気対策が繰り返され、カネ余りとなって株式や不動産に流れ込んだ。バブル経済だ。89年12月には日経平均株価は最高値の38,8915円をつける。

 

しかし、その後の不動産融資規制や金融引き締めなどで地価や株価は暴落し、バブル景気は崩壊した。維新時は西欧列強、戦後は米国などの背中を追いかけ、世界でもまれな急成長という奇跡を2度も実現した。バブル崩壊後の「失われた20年」を経たいま衰退の先頭を走る日本には、過去2度の奇跡と違ってモデルも目標もない。1960年代初めは20代後半だった日本人の平均年齢も今や45歳。向こう数十年は世界最高齢が続く。

後世代にツケを回し、今に安住するのでは「三度目」はやってこない。

 

この課題は国だけの事ではない。特に国内需要に的を当てて活動している企業も同様なのだ。

国が何かをしてくれるとは思っていないだろうが、先例なき時代を切り開き、新たな成長をする事が出来るのか。

経営者の責任が重く圧し掛かるのだ。

 

 

<高くがる空間>

JR鬼無駅の上空。

永代橋(本津川)の上空。

本津川の堤坊から見るだんご山3兄弟の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース&ご近所に咲いているノウゼンカズラ(凌霄花)

真夏に鮮やかなオレンジ色の花を咲かせる花木で、つるを壁や木に生やし、どんどん花を咲かせていく姿は迫力満点。中国原産で、日本には平安時代の9世紀頃に渡来し、薬として使われていたとか。ラッパ状の花を咲かせる花姿から、英雄や勝者を祝福する際のファンファーレで吹くトランペットを連想し、「名声」「名誉」という花言葉がつけられた。

・H

 

・S

 

・Ì

 

・T

 

・W

 

・N

 

・U

 

 

◇ウォーキングコースに咲くロクジョウマンネングサ(六条万年草)

 

◇新居新池の堤体に咲くキバナコスモスヒメジオン

 

 

 

 

Akijiiままniフォトsketch<日向王の塚

讃留霊王と悪魚退治伝説

讃王は、文字通り讃岐の王という意味で、別名を讃留霊王(さるれおう)と呼びます。

古事記には武貝児王、日本書紀では日本武尊の子の武殻王であると記されています。

讃王に関する伝説は以下のようなものです。

「第12代景行天皇の頃、土佐の海に大魚が現れ、船や人を飲み込み、暴れていた。天皇は息子の日本武尊にその悪魚の退治を命じたが、日本武尊は自分の息子の武殻王を推薦する。武殻王はさっそく土佐に向かうが、大魚は阿波の鳴門から讃岐沖に移って、そこで暴れていた。武殻王は讃岐国綾歌郡綾川の上に陣を敷いて、80人余の兵を軍船乗せて退治に向かった。しかし、武殻王は兵とともに大魚に呑まれ、その毒気に当てられてしまう。武殻王は大魚の腹の中で火を焚き、その腹を切り裂いて脱出する。だが、毒気にあてられた兵たちは瀕死の状態で、そこへ白峰の方から雲に乗った童子が現れ、手に持った壺から兵たちに水を与えると、たちまち蘇生した。童子は横潮大明神で、兵80人を救った水は、それにちなんで八十場の清水と名付けられた。大魚の死骸が流れ着いた場所には魚御堂(魚御堂趾碑-坂出高校内の西南角 坂出駅550m)が建てられて供養された。その周辺には、大魚の臓物があった腹江=福江、尾が海まで続いた江尻といった地名がつけられている」

武殻王はこの悪魚退治の功績が買われ、讃岐の土地を与えられ、城山に館を構えました。そして、讃岐に留まる霊王という意味の「讃留霊王」と呼ばれるようになったとされます。

また、その末裔は後にこの周辺を治めた讃岐綾氏とされます。

 

讃留霊王神社の立地は、北に飯野山という聖山があり、冬至の日没が大日峠に沈む光景が見られる場所という基準で選ばれたのでしょう。讃留霊王神社の社殿は夏至の日の出方向に面する。

本殿背後にある古墳。ここが讃王の墓だと伝えられている。前方後円墳は北をまっすぐ向いている。

参道は北方向の飯野山をランドマークにして、その肩の方向に真っ直ぐ伸びている。

 

▼所在地、日向王の塚

坂出市府中町〒762-0024

 

▼八十蘇場の清水、讃留霊王神社-寺標と鳥居

 

 

▼関の池から日向王の塚へ向かう、右(東)方向に関の池が見える

 

▼四国のみちを進む-1(JR予讃線・瀬戸大橋線の踏切を渡る)、四国のみちを進む-2

 

▼県道33号線の北側に日向王の塚が見えて来た、日向王の塚に着いた(関の池から0.4km)

 

 

▼日向王の塚-1

 

▼日向王の塚-2

 

▼日向王の塚-3

 

▼日向王の塚-4

 

▼日向王の塚-5

 

▼日向王の塚に別れを告げる、県道33号線を東方向に2.7kmで帰宅

 

 

2018.03.23に撮影した「八十蘇場の清水」を掲載します。

▼八十蘇場の清水-1

 

▼八十蘇場の清水-2

 

 

2017.08.25に撮影した「讃留霊王神社」を掲載します。

▼讃留霊王伝説パンフ-1

 

▼讃留霊王伝説パンフ-2

 

 

▼讃留霊王神社-寺標と鳥居、拝殿

 

▼讃留霊王神社-拝殿内の絵画、拝殿内の絵画の構図で一枚

 

▼讃留霊王神社-説明板、御由緒碑

 

▼讃留霊王神社-社殿1

 

▼讃留霊王神社-社殿2

 

▼讃留霊王神社-本殿

 

▼讃留霊王神社-本殿裏の前方後円墳

 

▼讃留霊王神社-矢塚伝説、讃王大明神・王妃霊地

 

▼讃留霊王神社-北参道1

 

▼讃留霊王神社-北参道2

 

 

 

<akijii展-(459)

幸せを呼ぶ切り絵(縁起のよいモチーフ)シリーズ-14

今報は「イスタバニとエッグで、所要時間は内切画-225分、外枠切画-50分=275Mでした。

キリスト教のイースター(復活祭)はクリスマスと並ぶ大切な行事。

多産のうさぎは子孫繁栄、卵は生命の誕生のイメージとしてイースターの代表的アイテムに。

◇原画                                       ◇内切画

 

◇外枠切画(完成作品)

 

引き続き、Vol.902-2/2をご覧ください。