Vol.874-3/6に続けてご覧ください。
▼金丸座へ進む-4
▼金丸座へ進む-5
▼金丸座へ進む-6、旧金毘羅大芝居(金丸座)に着いた
<旧金毘羅大芝居(金丸座)立ち寄りメモ・ルポ>
天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋。年3回の「市立ち」の度に仮設小屋で歌舞伎興業などを行っていましたが、江戸時代中頃から金毘羅信仰が全国的に高まり、門前町の形態が整うにつれ常小屋が必要となりました。設置は多数の庶民にも求められ、富籤(現在の宝くじのようなもの)の開札場を兼ねた常小屋として建てられました。
「金丸座」の名称は明治33年につけられたものです。昭和45年に国の重要文化財に指定され、昭和47年から4年間の歳月をかけて現在の場所に移築復元しました。昭和60年から「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催され、四国路に春を告げる風物詩となっています。また、平成15年度に復原及び耐震構造工事(平成の大改修)が行われ、調査中に発見された痕跡を検証し、「ブドウ棚」と「かけすじ」 を復原してより江戸時代の情緒あふれる姿に再現されています。
映画「男はつらいよ寅次郎の縁談」「写楽」「阿修羅城の瞳」「UDON」「最後の忠臣蔵」のロケ地にもなりました。
(香川県観光協会HP)
尚、耐震対策工事のため、令和2年10月1日から令和4年3月18日まで臨時休館しました。
▼旧金毘羅大芝居(金丸座)-1
▼旧金毘羅大芝居(金丸座)-2
▼旧金毘羅大芝居(金丸座)-3
▼旧金毘羅大芝居(金丸座)-4
▼旧金毘羅大芝居(金丸座)-5
<琴平公園入口までのメモ>
▼琴平公園へ進む
<琴平公園探訪メモ・ルポ>
▼琴平公園に着いた、琴平公園案内板-1
▼琴平公園案内板-2、琴平公園案内板-3(四国開発の先覚者・大久保諶之丞)
▼琴平公園-東屋、展望台
▼琴平公園東屋からの眺望、ズーム景
▼金山寺山(標高152.8m)山頂展望広場へ向かう(約550m)、山道を上る-1(左に駐車場)
▼山道を上る-2
▼山道を上る-3、左側はモミジ園
▼モミジ園-1
▼モミジ園-2、山道を上る-4
▼右は遊歩道-山頂展望台へ150m-復路ここに下りる、山道を上る-5
▼山道を上る-6、左に遊歩道の入口
▼遊歩道入口(北側への下り口)、山道を上る-7
▼左に石碑、大久保諶之丞の都々逸
香川用水の計画を提唱した際に「笑わしゃんすな百早年先は財田の山から川舟出して月の世界へ往来する」という都々逸を歌っている。瀬戸大橋構想は1889年、香川用水構想は1891年。まだ明治維新から20数年しか経っていない時代のことである。
▼山道を上る-8
▼山道を上る-9、公衆トイレ
▼金山寺山山頂展望広場へ石道を登る-1、大久保諶之丞翁銅像記念碑
▼金山寺山山頂展望広場へ石道を登る-2
▼金山寺山山頂展望広場へ石道を登る-3
▼金山寺山山頂展望広場に着いた、大久保諶之丞銅像-1
琴平公園金山寺山の山頂に建てられている大久保諶之丞さんの銅像。
大久保諶之丞(1849~1891年)は、四国新道(四国をつなぐ幹線道路)設を計画し、実際に讃岐新道(香川-徳島間)を完成しました。明治維新後の香川県は、徳島県に編入されたり、愛媛県に編入されたり、なかなか落ち着きませんでした。
道路の建設も困難を極め、諶之丞さんはそのために私財のほとんどを使い、子孫が貧乏したといいます。
讃岐鉄道の発起人にもなっています。そのほか、吉野川導水計画、瀬戸大橋構想、北海道移民の推進、医者の養成、港湾整備など、たくさんのことに尽力しました。
▼大久保諶之丞の略歴碑、大久保諶之丞銅像-2
▼大久保諶之丞銅像-3
▼大久保諶之丞銅像-4
▼金山寺山山頂展望台に着いた、金山寺山山頂展望台-1
引き続き、Vol.874-5/6をご覧ください。