Vol.871-1/4に続けてご覧ください。
かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-61<5.公園etc.:10)>(快天山古墳)
日本の歴史区分で4~7世紀は古墳時代と呼ばれている。古墳時代は、地域の有力者の埋葬に大型の墓造りが活発に行われていた時代であり、前・中・後期と大きく3時期に分類される。特に古墳時代前期における古墳造りからは、地域の特徴を色濃く見ることができるが、それ以降はほぼ平準化されていく。
我々の地域で現在確認されている古墳時代前期に築かれた古墳は、丸亀平野の東部および南部の丘陵上に集中しており、その大半が前方後円墳である。
これらは、讃岐特有の築造方法によって築かれたものが多く、その特徴として顕著に見られるのが、丘陵上に立地し地形に沿った配列であること、積石により構築されていること、主体部は複数で東西主軸となっていることなどである。
このような前方後円墳が築かれている中、他に類を見ない異色な古墳が唯一築かれている。
それは、綾歌町南東部の小丘陵上に、約1700年前に築かれた快天山古墳である。
快天山古墳で特に注目する点はその規模である。一般的な前方後円墳の全長が40m前後であるのに対し、快天山古墳は98.8mと圧倒的に大きく、前期古墳としては、四国最大の規模を誇り、瀬戸内地域全体でも7番目の大きさになる。
これは、水準の高い測量や土木技術を取り入れることにより造り得たものである。古墳の表面は、明石の五色塚古墳に見られるような段築構造で斜面部には葺石(ふきいし)が葺かれ、テラス部には円筒埴輪が並べられている。
埋葬施設は後円部に3か所あり、棺には国内最古の、石を刳り抜いて作った石棺が採用されている。
棺の内外からは、銅鏡や鉄製品など多くの副葬品が見つかっている。 刳抜(くりぬき)式石棺は、後に他の地域の首長墓にも採用されるようになる。これらのことから、快天山古墳の被葬者は中央にもつながる権力者で、東四国もしくは四国全体を治めていたことが推測される。(丸亀市HP)
日本最古の石棺をもつ前方後円墳の快天山古墳を訪ねました。
<歩行ルート>総距離3.4Km(スタート駅~帰宅駅)(立ち寄り部分不含)、総歩数 4,810
▼近郊航空写真、歩行ルート図
▼住吉神社、快天山古墳
<探訪地点までのメモ>
▼JR端岡駅0番のりばへ進む、JR端岡駅0番のりばに着いた
▼高松行に乗車、JR高松駅で下車し琴電琴平線に乗り換え
▼ことでん高松築港駅へ進む-1
▼ことでん高松築港駅へ進む-2
▼ことでん高松築港駅へ進む-3、ことでん高松築港駅に着いた
▼ことでん高松築港駅①番のりばの左側の高松城跡内堀と鞘橋と天守台、琴電琴平行に乗車
▼ことでん栗熊駅で下車、国道32号線に出る
▼住吉神社へ向かう(約1.0km)、国道32号線の北側へ移動-陸橋を渡る
▼陸橋を渡る-1、左奥に飯野山
▼陸橋の右(東北-右奥に堤山)方向、左(西南-正面奥に大麻山)方向
▼陸橋を渡る-2、陸橋を渡った
▼堤山を右に見ながら国道32号線を東北方向に進んで行く、国道32号線を東北方向に進む-1
▼国道32号線を東北方向に進む-2、ことでんの上り電車が通過
▼国道32号線を東北方向に進む-3
▼左奥に快天山が見えて来た、国道32号線を東北方向に進む-4(東馬指南交差点)
▼東馬指南交差点の右(南-琴電琴平線踏切)方向、左(北-金毘羅街道)方向
▼国道32号線を東北方向に進む-5
▼国道32号線を東北方向に進む-6
▼押しボタン信号交差点-左は金毘羅街道、国道32号線を東北方向に進む-7
▼国道32号線を東北方向に進む-8
▼国道32号線を東北方向に進む-9、琴参バス停-住吉神社前
▼国道32号線を東北方向に進む-10(住吉神社前交差点)、住吉神社前交差点-「⇦快天山古墳」の標識
▼快天山古墳の方向、国道32号線を東北方向に進む-11(左に住吉神社の石段が見える)
<住吉神社へ立ち寄りメモ>
祭神は神道で信仰される神で「底筒男命(そこつつのおのみこと)」・「中筒男命(なかつつのおのみこと)」・「表筒男命(うわつつのおのみこと)」で総称して住吉三神と呼ばれる。住吉大神ともいわれるが、この場合は住吉代謝に共に祀られている息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)を含めることがある。 海の神、航海の神とされる。
▼住吉神社に着いた、鳥居・石階段
▼左側の狛犬、右側の狛犬と社号標
▼昔の手水、参道石階段
▼参道石階段と随神門、随神門
▼随神
▼随神門から見る参道石階段、随神門から見る参道石階段と拝殿
引き続き、Vol.871-3/4をご覧ください。