Vol.865-1/5 雑学68。かがわ探訪Akijii77撰-56<5.公園:5>(玉藻公園) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

葉を落とした宮池の遊歩道のソメイヨシノ桜。

  

  

 

穏やかな夕暮れ時の宮池の表情。

明日の天気が気に成る宮池のパノラマ景。

 

 

高く広がる空間

大野原町田野々から見る愛媛県境(大谷山・金見山)の上空。

法泉寺(大野原町田野々)の上空。

遊水公園の入口から見る豊稔池堰堤の上空。

ダムの上から見る豊稔池堰堤の上空。

 

 

誰かに話したくなる雑学akijii-91撰

雑学68:工事現場などで見かける「安全第一」には、「品質第二」「生産第三」という続きがある。

日本では「安全第一」の部分だけが使われることが多く、実際に工事現場や工場などでは「安全」と「第一」の間に緑十字を挟み、「安全+第一」と表記されている。

 

1900年代初頭にはアメリカの企業で使われていた「生産第一、品質第二、安全第三」というスローガンは、安全よりも生産性が重視されていた。

当時のアメリカは不況に見舞われ、労働に従事する人は過酷で劣悪な環境を与儀なくされて、過酷な仕事には命の危険が伴い、労働災害で命を落とす人が後を絶たなかった。

 

当時、世界で圧倒的なシェアを誇った製鉄会社の「USスチール」でも、安全は二の次とされ、労働者の多くが苦しめられていた。そんな労働者たちの姿を見た社長のエルバート・ヘンリー・ゲーリーは大変心を痛めていたそうで、ゲーリーはキリスト教徒でもあったため、労働者たちが苦しむのを放っておけず、1906年にスローガンを「安全第一、品質第二、生産第三」に変更した。スローガンが変更された影響で、労働環境が改善され労働災害はみるみる減少していった。その後、USスチールが世界的企業であった事から、「安全第一、品質第二、生産第三」は瞬く間に世界中へと広まった。

 

日本にこの考えがもたらされたのは、1912年(大正元年)で実は100年以上の歴史を持っている。「安全第一」を日本に持ち込んだのは、古河鉱業足尾鉱業所所長だとされていて、アメリカで掲げられていた「セーフティ・ファースト(安全第一)」のスローガンを「安全専一(あんぜんせんいち)」として日本に持ち込んだ。それまでの日本には「安全第一」という考えは無かった事から、日本でも労働災害の数が減っていったそうだ。因みに、安全第一の間に掛かれる緑十字のデザインは「安全旗」と呼ばれるもので、1919年に採用されてから2019年で100周年を迎えている。

 

 

かがわ遊歩くらぶ(四国のみち:環境省ルート)REPEAT-09

09:丘のみち---枌所~竜満池 [12.4km] 

Youtube所要時間13:35

https://youtu.be/MK-QB8hAo9c

 

 

<Flower arrangement>

 

 

A seasonal flower 

◇飯野山(讃岐富士)(飯山登山口近く)の山麓に咲くサザンカ

12月頃が開花の最盛期の冬の花で、見所は10~1月、原産地は日本・東アジアである。

ツバキによく似ているが、①花弁がバラバラに落ちる②冬咲きのものが多い③枝に毛が生える④葉がやや小さいといった違いがある。

 

花は一重のものが多くツバキに比べると控えめな感じではあるが、種類は負けず劣らず多く、豪華な八重咲きもある。葉はやや厚くて、葉縁にはギザギザがあり、照りの強い小さい葉が密につくので生垣にも多用されている。

◇飯山町のお宅の生垣のサザンカ

◇ウォーキングコースのⅠ宅のサザンカ

 

 

◇ウォーキングコースのセイタカアワダチソウの種

 

◇ウォーキングコースの畑のタンポポの綿毛

 

 

 

<akijii展-(423)

東京の風景・美しい塗り絵、今報は「迎賓館」で、所要時間160Mでした。

明治42年東宮御所として建造され、その後赤坂離宮と呼ばれていましたが、戦後になって皇室から国に移管されました。ネオ・バロック様式の洋風建築物です。黄昏色で荘厳な風景を描いてみました。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.865-2/5をご覧ください。