Vol.858-4/6 雑学61。かがわ探訪Akijii77撰-49<4.城址:3>(長崎の鼻) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.858-3/6に続けてご覧ください。

 

▼北(豊島周辺)方向のズーム景、北東(大島周辺)方向のズーム景

 

▼東(庵治半島周辺)方向のズーム景、東南(五剣山周辺)方向のズーム景

 

▼ベンチから見る西(高松港~五剣山)方向のズーム景、東(庵治町)方向のズーム景

 

 

<遊鶴亭~屋島北嶺登山口までのメモ>

▼長崎の鼻へ向かう(約1850m)、北嶺登山口(長崎の鼻県道150号線交点)へ向かう

長崎の鼻県道150号線交点まで約800mで高低差は約200mで下降勾配はきつい

 

▼北嶺登山口へ下る-1

 

▼前方下に長崎の鼻が見える、北嶺登山口へ下る-2

▼北嶺登山口へ下る-3、前方に指導標

 

▼指導標「長崎の鼻1820m」、北嶺登山口へ下る-4

 

▼標高199m地点、北嶺登山口へ下る-5

 

▼北嶺登山口へ下る-6

 

▼北嶺登山口へ下る-7

 

▼右に指導標、指導標「⇦長崎の鼻1780m」

 

▼北嶺登山口へ下る-8

 

▼前方に階段、木製の階段を下りる-1

 

▼木製の階段を下りる-2、木製の階段を下りた

 

▼木製の階段を振り返る、前方に指導標

 

▼指導標「長崎の鼻1550m➡」、北嶺登山口へ下る-9

 

▼前方奥に大島が見える、北嶺登山口へ下る-10

 

▼前方に指導標、指導標「長崎の鼻1470m➡」

 

▼北嶺登山口へ下る-11

 

▼前方右下に長崎の鼻港が見える、長崎の鼻港のズーム景

 

▼北嶺登山口へ下る-12

 

▼北嶺登山口へ下る-13

 

▼北嶺登山口へ下る-14

 

▼北嶺登山口へ下る-15、標高90m地点

 

前方に県道150号線交点らしいものが見えて来た、県道150号線交点だ

 

▼県道150号線交点に着いた(標高46m)、北嶺登山口標柱と登山道案内図

▼北嶺登山道を振り返る、指導標「長崎の鼻1030m➡」

 

▼長崎の鼻へ近道の山道への入口(右に石標)、石標「八栗寺7.1km・屋島寺3.3km➡」

 

 

<長崎鼻古墳へ迷い道のメモ>

▼左側に小さな道しるべ「砲台跡へ➡」、道しるべ「砲台跡へ➡」

 

▼長崎の鼻へ近道の山道へ進む-1

 

▼長崎の鼻へ近道の山道へ進む-2、左右の選択で右へ進む

 

▼長崎の鼻へ近道の山道へ進む-3、登っている(少し可笑しい)

 

▼行き付くまで行く

 

▼あれ~古墳では…、スマホでgoogleマップを確認すると長崎鼻古墳だ(祠は鯨大明神)

この古墳は、屋島の北端長崎の鼻の瀬戸内海が見渡せる標高50mの丘陵にあります。1996〜1998(平成8〜10)年度に実施した確認調査の結果、5世紀のはじめにつくられた全長約45mの前方後円墳で、前方部を西に後円部を東側につくられていることがわかりました。古墳の墳丘は三段に作られており、格段の斜面には多くの石を作った葺石(ふきいし)が葺かれ、後円部の竪穴式石槨(せっかく)からは熊本県菊池川流域で作られた阿蘇溶結凝灰岩製の舟形石棺が確認されました。これと同じ材料でつくられた舟形石棺は、香川県の観音寺市で5世紀中頃のものが二例確認されていますが、本古墳は石棺の形態からこれよりも古い5世紀初めのものであることが判明しました。
古墳の場所が屋島の先端につくられていることや、石棺製作地がこの地から遠く離れた九州地方であることから、古代瀬戸内海の海上交通に関係した人物の墓であると考えられます。(高松市教育委員会)

 

▼周辺を確認するが特定できず引き返す、県道150号線交点へ引き返す

 

▼県道150号線交点への途中から斜面を下ることにした、長崎の鼻への道へ急斜面を下る-1

 

▼長崎の鼻への道へ急斜面を下る-2、何とか長崎の鼻への道に下りた

 

 

引き続き、Vol.858-5/6をご覧ください。