Vol.859-3/5 雑学62。かがわ探訪Akijii77撰-50<4.城址:04>(勝賀城) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.859-2/5に続けてご覧ください。

 

<「猫びたい」までの登山道❸メモ>

▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-1、前方にイノシシ用の門扉

 

▼勝賀城跡登山道入口とイノシシ被害対策門扉、勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-2

▼左側が迂回路の案内板、迂回せず直進

 

▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-3

 

▼迂回路との合流地点、勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-4

 

▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-5

 

▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-6

 

▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-7

 

▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-8

 

▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-9

 

▼「猫びたい」に着いた、猫びたい「⇦赤子谷・勝賀山➡」

▼猫びたいのベンチで一休止、北西(生島町)方向の眺望-1

 

▼生島湾のズーム景、レグサムスタジアム(香川県営野球場)のズーム景

 

<「勝賀城跡」までの登山道❹メモ>

▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-1

 

▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-2、「猫の背」の標織

 

▼右(東南)方向の峰山トンネル、峰山トンネルのズーム景

 

▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-3

 

▼「馬がえし」の標織、勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-4

ここからが急坂になる。勝賀城への荷物はここまでは馬の背に乗せて運んでいたのかな。

ここからは馬が昇る事が出来ないため返したんだろうか。

 

▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-5

 

▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-6

 

▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-7

 

▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-8

 

▼北西(生島町)方向の眺望-2、生島町と紅峰山と生島湾のズーム景

 

▼勝賀城跡に着いた、勝賀城跡の特徴パンフ

 

 

勝賀城跡探訪メモ・ルポ

勝賀城は、鎌倉時代から戦国時代の約360年間、笠居郷(鬼無、香西、下笠居地区)を本拠に活躍した香西氏歴代の牙城(がじょう)である。麓には里城として佐料城跡、藤尾城跡(市史跡)がある。

城の主要部は台地状の山頂部南寄りにあり、頑丈な土塁に囲まれた本丸跡は、南北60m、東西30~40mの平場。その東南に木戸口が開かれ、北辺の土塁の食い違い虎口(こぐち)(通路)で二の丸の4郭(くるわ)に連絡、東に下がって三の丸の二郭につながる。外縁をさらに土塁がめぐり、腰巻きの石垣を築き頑丈さを増し、高低差、折れひずみ、枡型(ますがた)などで守備効率を高めている。京都にまで聞こえた香西氏の実力がしのばれる城構えである。(高松市HP)

 

▼勝賀城跡推定イラスト「勝賀城と香西浦」(勝賀城跡パンフ-高松市編集より引用)

▼勝賀城の主郭跡へ-1

 

▼勝賀城の主郭跡へ-2

 

▼勝賀城の主郭跡へ-3、虎口

 

▼勝賀城の主郭跡に着いた、「史跡 勝賀城跡」の説明板

▼勝賀城の主郭跡-1

 

▼勝賀城の主郭跡-2

 

▼勝賀山三角点、勝賀山-三等三角点 勝ケ山(364.04m)

▼勝賀城跡-折

 

▼勝賀城跡-方形曲輪

 

▼勝賀城跡-虎口、様相-1

 

▼勝賀城跡様相-2

 

 

引き続き、Vol.859-4/5をご覧ください。