Vol.859-2/5に続けてご覧ください。
▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-1、前方にイノシシ用の門扉
▼勝賀城跡登山道入口とイノシシ被害対策門扉、勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-2
▼左側が迂回路の案内板、迂回せず直進
▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-3
▼迂回路との合流地点、勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-4
▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-5
▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-6
▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-7
▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-8
▼勝賀城跡登山道❸(猫びたいまで)を進む-9
▼「猫びたい」に着いた、猫びたい「⇦赤子谷・勝賀山➡」
▼猫びたいのベンチで一休止、北西(生島町)方向の眺望-1
▼生島湾のズーム景、レグサムスタジアム(香川県営野球場)のズーム景
<「勝賀城跡」までの登山道❹メモ>
▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-1
▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-2、「猫の背」の標織
▼右(東南)方向の峰山トンネル、峰山トンネルのズーム景
▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-3
▼「馬がえし」の標織、勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-4
ここからが急坂になる。勝賀城への荷物はここまでは馬の背に乗せて運んでいたのかな。
ここからは馬が昇る事が出来ないため返したんだろうか。
▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-5
▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-6
▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-7
▼勝賀城跡登山道❹(勝賀城跡まで)を進む-8
▼北西(生島町)方向の眺望-2、生島町と紅峰山と生島湾のズーム景
▼勝賀城跡に着いた、勝賀城跡の特徴パンフ
<勝賀城跡探訪メモ・ルポ>
勝賀城は、鎌倉時代から戦国時代の約360年間、笠居郷(鬼無、香西、下笠居地区)を本拠に活躍した香西氏歴代の牙城(がじょう)である。麓には里城として佐料城跡、藤尾城跡(市史跡)がある。
城の主要部は台地状の山頂部南寄りにあり、頑丈な土塁に囲まれた本丸跡は、南北60m、東西30~40mの平場。その東南に木戸口が開かれ、北辺の土塁の食い違い虎口(こぐち)(通路)で二の丸の4郭(くるわ)に連絡、東に下がって三の丸の二郭につながる。外縁をさらに土塁がめぐり、腰巻きの石垣を築き頑丈さを増し、高低差、折れひずみ、枡型(ますがた)などで守備効率を高めている。京都にまで聞こえた香西氏の実力がしのばれる城構えである。(高松市HP)
▼勝賀城跡推定イラスト「勝賀城と香西浦」(勝賀城跡パンフ-高松市編集より引用)
▼勝賀城の主郭跡へ-1
▼勝賀城の主郭跡へ-2
▼勝賀城の主郭跡へ-3、虎口
▼勝賀城の主郭跡に着いた、「史跡 勝賀城跡」の説明板
▼勝賀城の主郭跡-1
▼勝賀城の主郭跡-2
▼勝賀山三角点、勝賀山-三等三角点 勝ケ山(364.04m)
▼勝賀城跡-折
▼勝賀城跡-方形曲輪
▼勝賀城跡-虎口、様相-1
▼勝賀城跡様相-2
引き続き、Vol.859-4/5をご覧ください。