Vol.859-2/5 雑学62。かがわ探訪Akijii77撰-50<4.城址:04>(勝賀城) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.859-1/5に続けてご覧ください。

 

かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-50<4.城址:04)>(勝賀城跡)

勝賀山山頂の香西氏歴代の牙城の勝賀城跡を訪ねました。

勝賀城跡は香西氏の詰城として室町時代に築かれ、戦国時代後半に改修されました。四国の土づくりの城の中でも規模が大きく、保存状態もよく、工夫を凝らした仕掛けが随所にみられます。お城からは瀬戸内海や高松平野が一望でき、この地にお城を築いた理由がよくわかります。(勝賀城跡パンフ-高松市編集より)

 

<歩行ルート総距離7.4Km(スタート駅~帰宅駅)(立ち寄り部分不含)総歩数 15,910

 

▼近郊航空写真、歩行ルート図

 

▼勝賀山-三等三角点 勝ケ山(364.04m)、勝賀城跡

 

 

<探訪地点までのメモ>

▼JR端岡駅②番のりばへ進む-1

 

▼JR端岡駅②番のりばへ進む-2、JR端岡駅②番のりばに着いた

 

▼高松行に乗車、JR鬼無駅で下車(乗車時間4分)

 

▼勝賀城址と桃太郎伝説史跡案内、JR鬼無駅から県道33号線へ進む

 

▼県道33号線を東北方向へ進む-1

 

▼県道33号線を東北方向へ進む-2、県道33号線を左カーブし北方向へ進む

 

▼県道33号線を北方向に進む-1

 

▼県道33号線を北方向に進む-2

 

▼県道33号線を北方向に進む-3「バス停-佐料」、次の交差点を左折

 

 

<「勝賀城跡案内板」地点までの登山道❶メモ>

▼「⇦史跡 勝賀城跡(これより1.5km)」案内板、勝賀城跡へ向かう(約1.5km-登山口まで)

 

▼勝賀城跡登山道(勝賀城跡案内板地点まで)を進む-1、「⇦勝賀城跡 登山道」の標識

 

▼勝賀城跡登山道を進む-2

 

▼前方奥に勝賀山が見える(交点を右折して佐料城跡へ)、右(北)奥が佐料城跡域

 

▼佐料城跡の説明板、佐料城跡域内の奥津神社

 

▼奥津神社の境内、奥津神社の高松市名木「アキニレ」

 

▼勝賀城跡登山道を進む-3

▼案内板「⇑勝賀城跡も➡貴船神社⇦養福寺」、右(北)奥の貴船神社のズーム

 

▼勝賀城跡登山道を進む-4

 

▼左後方(南東)に養福寺、勝賀城跡登山道を進む-5

 

▼勝賀城跡登山道を進む-6

 

▼勝賀城跡登山道を進む-7、左(南西)方向に香川誠陵中・高校が見える

 

▼後ろを振り返る(石清尾山・浄願寺山の左奥に屋島)、屋島北嶺の長崎の鼻のズーム景

先報Vol.858で掲載した屋島北嶺の長崎の鼻が見える。

▼勝賀城跡登山道を進む-8、勝賀城跡案内板地点に着いた

 

▼勝賀城跡案内板地点(ミラーマーキング)、勝賀城跡の説明板

▼勝賀城跡案内板地点の左(南東)方向、右(北西)方向

 

▼石清尾山・浄願寺山の左奥に屋島のパノラマ景

▼屋島北嶺の長崎の鼻のズーム景、シンボルタワー高松のズーム景

 

 

<「登山口」までの登山道メモ>

ここから勝賀城跡まで1325mである。

▼勝賀城跡登山道(登山口まで)を進む-1

 

▼勝賀城跡登山道(登山口まで)を進む-2

 

 

▼左のイノシシ被害対策門扉を開けて入る(勘違いが直ぐに分かったが)、しばらく林の中を彷徨う-1

 

▼しばらく林の中を彷徨う-2

 

▼抜け出すルートを模索

 

▼漸く登山道へ抜け出す、登山道へ戻る事が出来た(ホッ~)

 

 

▼勝賀城跡登山道を進む-3、右(北)方向に見える勝賀山

 

▼勝賀城跡登山道を進む-4

 

▼後ろを振り返る(浄願寺山)、勝賀城登山道の左側へ上がる

▼勝賀城跡登山道を進む-5

 

▼勝賀城跡登山道を進む-6

 

▼勝賀城跡登山道を進む-7、「⇦勝賀城跡登山口」の案内カード

 

 

引き続き、Vol.859-3/5をご覧ください。