Vol.853-3/5に続けてご覧ください。
▼タンポの石棺に寄る、タンポの石棺へ進む
▼タンポの石棺に着いた、タンポの石棺
海を見下ろす突端につくられた組み合わせ式石棺で、安山岩・花崗岩の板石を組み合わせた長さ約1mの小型石棺。
その位置や規模から船旅の途中で死んだ子供の墓とも考えられる。
▼右(西)方向の風景-3、元に戻る
▼南方向に進む-6、右(西)方向の風景-4
▼南方向に進む-7、白石古墳広場に着いた
▼白石古墳広場-1
▼白石古墳広場-2
▼南東方向へ進む-1
▼南東方向へ進む-2
▼南東方向へ進む-3
▼南東方向へ進む-4、案内板-1
▼南東方向へ進む-5
▼南東方向へ進む-6
▼案内板-2、南東方向へ進む-7
▼指導標(⇦白石古墳広場250m・長崎鼻500m)、南東方向へ進む-8
▼次のT交点を右折、沙弥島海岸へ進む-1
▼沙弥島海岸へ進む-2、沙弥島海岸が見えて来た(ミラーマーキング)
<2.沙弥島海岸探訪メモ・ルポ>
環境省の「快水浴場百選」に選ばれた海岸。波がおだやかな波止場内は、小さなこどもも安心。
海水浴シーズン以外にもビーチコーミングや美しい景観など浜辺を楽しめるスポットです。
▼沙弥島海岸に着いた、沙弥島海岸
▼沙弥島海岸のパノラマ景-1
▼沙弥島海岸から見る宇多津町の方向(青ノ山・瀬戸大橋タワーマンション・ゴールドタワー)、沙弥島海岸から見る丸亀町の方向(今治造船)
▼沙弥島海岸沿いに南へ進む-1
▼沙弥島海岸沿いに南へ進む-2
▼沙弥島海岸のパノラマ景-2
<理源大師堂までのメモ>
▼沙弥島海岸沿いに南へ進む-5(次を左折して理源大師堂へ寄る)、理源大師堂へ進む-1
▼理源大師堂へ進む-2
▼理源大師堂へ進む-3、理源大師堂に着いた
<理源大師堂立ち寄りメモ・ルポ>
理源大師聖宝は、真言宗修験道の中興の祖、又は醍醐の開祖として知られる。
生まれは天長9年(832)に現在の坂出市沙弥島に生まれたという説や丸亀市の本島、或いは京都に生まれたというように諸説がある。承和14年(847)空海の弟、真雁について東寺で出家以後長く師事、高野山では空海の甥、真然に学ぶ。
平素は諸国の霊山を巡り、苦業するその行動から、真言宗修験道の中輿の祖といわれるようになる。
晩年には請雨、皇子降誕などで霊験を顕し天皇、上皇の帰衣と受ける.延喜9年(909)没、宝永4年(1707)没800年忌に東山天皇より、理源大師の称号を追贈される。
▼理源大師堂-1
▼理源大師堂-2
▼理源大師堂-3
引き続き、Vol.853-5/5をご覧ください。