Vol.853-1/5に続けてご覧ください。
かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-44<3.岬etc:06)>(沙弥島)
万葉の島-沙弥島(しゃみじま)を訪ねました。
<歩行ルート>総距離3.7Km(スタート駅~帰宅駅)(立ち寄り部分不含)、総歩数 7,120
▼近郊航空写真、歩行ルート図
▼ナカンダ浜から見る瀬戸大橋、オソゴエの浜の柿本人磨碑と人麻呂岩
▼長崎鼻から見る瀬戸内海と瀬戸大橋、白石古墳広場
<探訪地点までのメモ>
▼JR端岡駅③番のりばへ進む、だんご山3兄弟の上空もまずまずだ
▼琴平行に乗車、JR坂出駅で下車
▼坂出市営バスのりばへ進む
▼坂出市営バスのりばに着いた、坂出市営バス「瀬居線」に乗車
▼バス停「沙弥島万葉会館」、バス停「沙弥島万葉会館」で降車
▼右側に瀬戸大橋記念公園球技場と奥に瀬戸大橋、沙弥ナカンダ浜へ向かう(約0.5km)
▼沙弥島を北西に進む-1
▼沙弥島を北西に進む-2(右は沙弥港)、沙弥島を左にカーブ
▼右に沙弥港と奥に瀬戸大橋タワーと瀬戸大橋、沙弥島を西方向に進みT交点を右折
▼T交点を右折して北方向に進む、沙弥島を北方向に進む-1
▼沙弥島を北方向に進む-2、ナカンダ浜が見えて来た
<1.沙弥島ナカンダ浜・オソゴエ浜・長崎鼻探訪メモ・ルポ>
沙弥島には、島のあちこちに旧石器・縄文・弥生時代の遺跡や古墳、文学碑が数多く散在しています。
なかでも万葉の歌人柿本人麻呂ゆかりの歌碑や、讃岐の五大師の一人「理源大師」に因んだ旧跡などはよく知られており、これを目的として島を訪れる歴史・文学愛好者たちも多くいます。
島内には主要な史跡などをめぐる快適な遊歩道なども整備されています。瀬戸内の四季の風光を満喫しながら、ゆったりと、この万葉の島ならではの歴史文学散歩を楽しむことができます。
島の最北端に突き出した長崎鼻の南にある「柿本人麿碑」は人麻呂がこの島に船を着けて「石中死人を視て作歌」し、その心を敬慕した作家中河与一氏が昭和11年に建立した記念碑です。また、この石碑に隣接した海岸線には「人麻呂岩」があり、人麻呂が沙弥に漂着して視た”石中の死者”が、この岩の附近にあったと伝えられています。 (坂出市HP)
▼沙弥島案内板、沙弥島を北方向に進む-3(左側に旧沙弥小・中学校)
▼旧沙弥小・中学校
▼沙弥ナカンダ浜に着いた、沙弥島園地案内図
沙弥ナカンダ浜は青い瀬戸内海とライトグレーの瀬戸大橋を背景に1本のエノキが立つ景色は、沙弥島を代表する風景。
また、付近一帯は、弥生時代から古墳時代にかけての塩作りの遺跡です。
▼沙弥ナカンダ浜展望台へ向かう(約230m)、左奥に旧沙弥小・中学校
▼ナカンダ浜から見る瀬戸大橋-1、ナカンダ浜の小径を西北方向に進む-1(左奥に石碑)
▼本州四国連絡橋 児島・坂出ルート BB7A 躯体竣工 記念碑、ナカンダ浜の小径を西北方向に進む-2
▼ナカンダ浜から見る瀬戸大橋-2、ナカンダ浜の小径を西北方向に進む-3
▼ナカンダ浜の小径を西北方向に進む-4、瀬戸大橋と瀬戸大橋記念公園
▼万葉樹木園の記-1
▼ナカンダ浜から見る瀬戸大橋のパノラマ景-1
▼人麻呂歌碑、沙弥ナカンダ浜展望台へ進む-1(左側は万葉樹木園の記)
人麻呂が沙弥島で詠んだ和歌(長歌・反歌二首)が刻まれた碑、サヌカイトつくられています。
いずれも人間の真情を格調高く歌っており、万葉集を代表する歌人です。
柿本人麻呂は、文武天皇の御代(700年頃)、西国に朝廷からの使者としておもむき、讃岐の国、中の水門(みなと)-丸亀市金倉川口付近を船出して都へ向かう途中、風波をさけるために狭岑島(沙弥島)に寄りました。
岩場にはすでに息絶えた死者が…。そんな姿を見た人麻呂が、死者への悼みと、死者の帰りを待つであろう妻子への思いを和歌に詠みました。
歌碑
玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ
神柄か ここだ貴き 天地 日月とともに 満りゆかむ
神の御面と 継ぎ来る 中の水門ゆ 船浮けて
わが漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち
辺見れば 白波さわく 鯨魚取り 海を恐み 行く船の 梶引き折りて
をちこちの 島は多けど 名くはし
狭岑(さみね)の島の 荒磯面に いほりてみれば
波の音の 繁き浜辺を 敷栲の
枕になして 荒床に ころふす君が
家知らば 行きても告げむ 妻知らば
来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず
おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは
▼万葉樹木園の記-2
▼ナカンダ浜から見る瀬戸大橋のパノラマ景-2
▼沙弥ナカンダ浜展望台へ進む-2
▼沙弥島園地案内板、沙弥ナカンダ浜展望台へ上る-1
▼沙弥ナカンダ浜展望台へ上る-2、沙弥ナカンダ浜展望台の記念碑
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