Vol.578-3/4に続けてご覧ください。
▼西尾根の先端部、西尾根展望台を後にする
▼屋島寺の仁王門まで戻る、西尾根を北上する
▼集いの広場に戻った、集いの広場(県木園)を抜ける
▼仁王門へ進む
▼広場に「屋島の合戦を表す屛風の彫刻」、屋島の案内図
▼屋島寺仁王門に戻った、屋島寺仁王門-1
▼屋島寺仁王門-2
▼屋島寺仁王門-3
屋島への登山道はいくつかあるが、代表的なのは潟元から登る遍路道で、県道扱いで全区間舗装してあるので、誰でも安心して40分程度で登ることができる。ただ、標高差が約280mで勾配が結構きつい。このルートを下りるので、膝に負担が掛かるだろう。
▼屋島から下山し潟元駅(ことでん)へ向かう、屋島登山道(遍路道)を下りる-1
ことでん潟元駅まで約2.5kmの道程である。
▼屋島登山道(遍路道)を下りる-2
▼屋島登山道(遍路道)を下りる-3
▼屋島登山道(遍路道)を下りる-4 、畳石(たたみいし)
畳石は、畳を何枚も重ねたような形をした奇岩で、讃岐岩質安山岩が水平方向に発達したものである。名前の由来は、西行法師の「宿りしてここにかりねの畳石、月は今宵の主ならん」という歌からと伝えられている。
▼板状節理-1
地層や岩石のなかの割れ目の内、ずれを伴わないもので、ずれを伴う断層と区別する。
特徴的なものは火成岩に発達する規則的な方状節理、板状節理、柱状節理などで、これら火成岩の節理は、マグマが冷却する際の収縮による張力などに起因する。堆積岩の節理は板状節理が多く、大部分地殻変動によって生じる。変動の際の圧縮、剪断、引張りが岩石の抵抗の限界をこえたとき、最大主応力の方向に関して特定の配置をもつ節理ができる。木曾寝覚の床は花崗岩の方状節理、長野県霧ヶ峰高原などから産する鉄平石、屋島の畳石などは板状節理、福岡県芥屋(けや)、兵庫県の玄武洞などの火山岩の柱状節理は、材木岩、竿石などの俗称で呼ばれる。
▼板状節理-2
▼屋島登山道(遍路道)を下りる-5
▼不喰梨(くわずのなし)
弘法大師が屋島に登ったとき、梨が美味しそうに熟していたので所望すると、持ち主から「食べられない不喰の梨です」と嘘をつかれて断られたそうだ。
その後、梨は本当に石のように固くなり、食べられなくなったとのことである。
▼左は屋嶋城跡への階段通路、屋島登山道(遍路道)を下りる-6
▼屋島登山道(遍路道)を下りる-7
▼加持水(かじすい)
弘法大師が仏天を供養して、祈祷を行うと水が湧き出したと伝わる場所で、干ばつで池や井戸水が枯れても、こちらの湧き水が絶えることはないそうだ。
▼石碑、屋島登山道(遍路道)を下りる-8
▼屋島登山道誘導案内板(山上へ30分の地点)、屋島登山道(遍路道)を下りる-9
▼屋島登山道(遍路道)を下りる-10、屋島寺本堂まで1665mの地点
▼左に遮照院、屋島登山道(遍路道)を下りる-11
▼右に屋島小学校、屋島登山道(遍路道)を下りる-12
▼左に道池、屋島登山道(遍路道)を下りる-13
▼屋島登山道(遍路道)を下り切った、ことでん「潟元駅」へ向かう-1
ことでん潟元駅まで約0.8km、ひと踏ん張りだ。
▼ことでん「潟元駅」へ向かう-2
▼ことでん「潟元駅」へ向かう-3
▼ことでん「潟元駅」が見えてきた、潟元駅に着いた
▼肩元駅のホーム、ことでん「潟元駅」から帰宅の途に就いた
▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀