Vol.578-3/4 成功を収めるのに必要は<史跡探訪-県都高松市編09:高松市屋島東・中町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.578-2/4に続けてご覧ください。

 

▼屋嶋城跡-6

▼屋嶋城跡-7

 

▼屋嶋城跡-8

 

▼屋嶋城跡-9

 

▼屋嶋城跡-10

 

▼屋嶋城跡-11

 

▼屋嶋城跡-12

 

 

<歩行メモ>

▼屋嶋城跡を後にする、屋島寺へ向かう-1

 

▼展望台に寄る

 

▼展望台からの眺望

左の眺望は、手前は屋島レグサムフィールド・奥に久米池・右に春日川・右奥に高松クレーター5座。右は春日川・詰田川・新川・よんでん総合研究所・高松PGC・香川県庁などである。

 

▼屋島寺へ向かう-2

 

 

<探訪史跡-3:四国霊場84番札所:屋島寺>

律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6(754)朝廷に招かれ奈良に向かう途中、当地を訪れて開創し、その後、弟子の恵雲が堂宇を建立したという。その後、古代山城の屋島城が閉鎖されたため、その跡地に寺院を創設したものである。なお、ここから1kmほど北の北嶺山上には屋島寺の前身とされる千間堂の遺跡がある。また、815(弘仁6)嵯峨天皇の勅願を受けた空海は、北嶺から南嶺に移し千手観音像を安置し霊場に定めたとも云われている。明徳2(1391)の西大寺末寺帳に屋島寺と屋島普賢寺の名があり、当時は奈良・西大寺(真言律宗)の末寺であったことがわかる。高松藩主生駒一正は慶長6(1601)に屋島寺の寺領25石を安堵。近世を通じ、当寺は高松藩の保護下にあった。

現在も国有林部分を除いて、屋島山上の敷地のほとんどは屋島寺の所有である。 (Wikipediaより)

 

▼屋島寺の仁王門に着いた、屋島寺-仁王門

▼屋島寺-仁王

 

▼屋島寺-参道、四天門

 

▼屋島寺-本堂、境内

 

▼屋島寺-宝物館

 

 

<歩行メモ>

▼西尾根展望台へ向かう、扇誉亭(せんよてい)の前を通る

 

▼扇誉亭-ショウウインドウ、店内

 

▼西尾根展望台へ260mの標識板、集いの広場へ入る

集いの広場の周りは県木園になっていて、全国の県木を植樹している珍しい自然エリアである。

▼集いの広場を通る、西尾根展望台へ100mの標識板

 

▼西尾根を南下-1

 

▼右(西)方向の景観、西尾根を南下-2

 

▼西尾根を南下-3

 

 

▼西尾根展望台に着いた、屋嶋城と屋島の説明板

西尾根の頂上にある西尾根展望台は屋嶋城跡と同時に整備された。

高松市街の眺望と共に、屋嶋城の城門をパノナマで眺めるビュースポットである。

 

▼屋嶋城跡、屋嶋城跡のズーム

 

▼西尾根展望台からの眺望-1

 

▼西尾根展望台からの眺望-2

 

▼西尾根展望台からの眺望-3

 

▼西尾根展望台からの眺望-4

 

引き続き、Vol.578-4/4をご覧ください。