Vol.578-2/4 成功を収めるのに必要は<史跡探訪-県都高松市編09:高松市屋島東・中町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.578-1/4に続けてご覧ください。

 

<史跡探訪シリーズ-県都高松市:09く高松市屋島東町・屋島中町>

 

高松市屋島東町・屋島中町の史跡探訪の主たる狙いは、屋嶋城を訪れることである。

 

探訪ルートと探訪史跡ルート総歩数 10,600

▼探訪ルート図、バスの車窓

 

▼血の池、屋嶋城(やしまのき)跡と奥に屋島カントリー

 

▼屋嶋城跡

 

▼屋島寺の仁王門、西尾根展望台

 

 

<歩行メモ>

JR屋島駅で降車、讃岐屋島てくてくりんりん地図

 

▼地域振興スペース-JR屋島駅構内、名誉駅長

 

▼地域振興スペース-展示コーナー

 

▼屋島山上へ向けJR屋島駅を出発、バスの車窓-1:五剣山

 

▼バスの車窓-2:屋島壇ノ浦の周辺 瀬戸内海

 

▼バスの車窓-3:女木島の周辺、高松港の周辺

 

▼バス停「屋島山上」に到着、バス停をスタート

 

▼高松市屋島東・中町-ルート3Ⅾ略図

▼屋嶋城跡の城門へ向かう-山上ルート1

 

▼源平屋島合戦絵図

 

▼屋島寺の東大門の前を左折、山上ルート1に従い東北へ進む-1

 

 

<探訪史跡-1:血の池(瑠璃宝の池)

四国霊場84番札所の屋島寺の側にあり、屋島寺創建の際、弘法大師がこの地に経文と宝珠を収め、その周囲に池を掘ったのが始まりであるという。そのため、この池は出来た当初は「瑠璃宝の池(るりほうのいけ)」と呼ばれていた。現在も池の中央部に小島があり、そこが経文と宝珠が収められた場所であるとされる。何故このような清浄な池が「血の池」と呼ばれるかは、寿永4(1185)の源平の屋島の合戦に由来する。屋島の檀ノ浦で平家を打ち負かした源義経らの源氏方は屋島に登り、この池で血のついた刀を洗ったといわれ、それ以来、この池は「血の池」という通り名で呼ばれるようになったとのことである。

 

▼血の池に寄る、血の池の説明板

 

▼血の池-1

 

▼血の池-2

 

▼血の池-3、三嶋大明神

 

 

<歩行メモ>

▼山上ルート1に従い東北へ進む-2

 

▼山上ルート1に従い次を右折(城門まで430m地点)、源平屋島合戦史蹟-案内図

 

▼東の方向-五剣山、南東の方向-屋嶋城跡と奥に屋島カントリー

 

▼山上ルート1に従い南へ進む-1、左側に歌碑

 

▼山上ルート1に従い南へ進む-2、南東へ進む-1

 

▼山上ルート1に従い南東へ進む-2(展望台が見えてきた) 展望台の手前

 

▼展望台に到着、展望台からの眺望-五剣山・志度湾の方向

▼展望台を後にする、山上ルート1に従い南へ進む

 

▼三差路を左折する、案内標識に従い右へ入る

 

▼道なりに進む

 

 

<探訪史跡-2:屋嶋城跡>

中大兄皇子が唐と新羅の侵攻に備え、対馬、九州から瀬戸内海沿岸にかけて築かせた山城で、667年に築かれたことが「日本書紀」に記されています。断崖絶壁を最大限利用した古代山城で、城壁の9割程は天然の崖です。平成19年度から高松市が進めてきた屋嶋城跡城門遺構整備事業が完了し、平成28319日から公開されています。迫力ある石積みと高松市街地の眺望は一見の価値あり。

同時に整備された西尾根展望台からの眺めもおすすめです。 (香川県観光協会HP)

 

▼道なり進み屋嶋城跡に着いた、屋島と屋嶋城の説明板

 

▼屋嶋城跡-1

▼屋嶋城跡-2

 

▼屋嶋城跡-3

 

▼屋嶋城跡-4

▼屋嶋城跡-5

 

 

引き続き、Vol.578-3/4をご覧ください。