Vol.567-3/4に続けてご覧ください。
▼宗鑑の塔
▼細川伊予守氏政(九十九城主)の供養塔
▼観音寺町奉行の墓所へ、根津八郎兵衛直方とその一族の墓所
<歩きメモ>
▼一夜庵を後にする、興昌寺の境内へ降りる
▼興昌寺の境内を通り抜ける
▼興昌寺の参道石階段を下りる-1
▼興昌寺の参道石階段を下りる-2、興昌寺の山門を潜り抜ける
▼興昌寺を後にする、専念寺へ向かう
▼往路の県道21号を南下する、観音寺・神恵院交差点を通過
▼マルナカ八幡店を通過、バス停「琴弾公園」まで戻った
▼県道21号を南下し三架橋(財田川)を渡る
▼三架橋から見る財田川の下流方向:新琴弾橋が見える 、三架橋(財田川)を渡り切った
▼県道21号を南下-観音寺信金の交差点を右折、専念寺へ進む-1
▼専念寺へ進む-2、専念寺が見えてきた
<探訪史跡-5:専念寺一茶の歌碑>
専念寺は、浄土宗総本山知恩院の末寺・福衆山普門院専念寺は康正2年(1456年)の創立。
境内には、江戸時代の俳人「小林一茶」がこの地で詠んだ句碑がある。
元日や さらに旅宿と おもほえず
句意は「この宿ではいつもよいおもてなしを受けたので、旅の宿とも思えない気がする」というものです。この句碑は昭和12年ごろ、地元俳人たちの手で建てられたもので、句は寺に残っている一茶の自筆を模写したものです。一茶が著わした「寛政紀行」からも寛政4年(1792年)春から4年間、ここ専念寺に滞在し、多くの句を残したことがはっきりわかっています。 (観音寺市HPより)
▼専念寺が見えてきた、専念寺の外観
▼専念寺-山門、観音寺観光協会の案内板
▼専念寺-境内、一茶の句碑
▼一茶の句碑:表面、裏面
<歩きメモ>
▼ 専念寺を後にしてJR観音寺駅へ向かう、往路を戻る-1
▼往路を戻る-2:交差点を直進、県道5号線を東進
▼県道5号線の交点を直進、中央町を東南へ進む-1
▼中央町を東南へ進む-2、次の殿町交差点を右折
▼殿町を南下
▼左側に大きな太鼓台の写真を掲示した店舗、県道49号線の交差点を直進南下
▼JR観音寺駅が見える、県道49号線を南下-1
▼県道49号線を南下-2、大正橋(一の谷川)を渡る
▼JR観音寺駅に到着、JR観音寺駅から帰宅の途に就いた
▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀




















































