Vol.561-4/4 真の人格者は孤立しない。<史跡探訪-瀬戸大橋の入口編-06:綾川町山田> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.561-3/4に続けてご覧ください。

 

<探訪史跡-3:法道寺>

法道寺は、綾川町綾上の県道17号脇を少し入った所にある。

県道脇に石碑があり、石碑には「国宝法道寺:敷地寄附 三好四郎太」、小さい石柱には「本尊地蔵菩薩:国宝」と記述しているが、実際は国指定重要文化財である。 

▼県道脇の法道寺の石碑

 

▼法道寺が見える、入口でマーキング

 

 

法道寺には、国指定重要文化財の木造地蔵菩薩立像がある。木造地蔵菩薩立像は宝冠も戴かず、綬帯もつけず、左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、蓮花座の上に静かに立っている。声聞形(しょうもんぎょう)(僧の姿をした)の像である。総高95.8cm、桧材の一本造りで内ぐりがあり背板が打ってある。

慈悲円満な彩色、衣文(えもん)の柔らかみ等藤原末期を思わせる鎌倉初期の作である。台座は、当初のものであるか、あるいは損傷のまま年を経たものか、持仏(じぶつ)と光背(光背)は後年の補作である。元禄14(1701)阿野郡南大庄屋「水原半十郎」(牛川)「片山庄兵衛」(羽床)の発願によって本堂が建築された享保7(1722)半十郎の寄進によって龍燈院綾川寺法印快厳が修理し入仏開眼したという墨書銘がある。    (説明板より)

 

▼国重文の説明板、境内

 

▼開通小学校跡地碑

 

▼本堂-1

 

▼本堂-2、本堂-

▼本堂-史跡七人塚の由緒、本堂-3

 

▼国重文収蔵のお堂、お堂横の石灯籠

 

▼鐘楼、水子聖霊石像

 

▼川柳碑、西国三十三所霊場碑文

 

▼西国三十三所霊場石仏

 

▼境内の杜-1

 

▼境内の杜-2、史跡-七人塚

 

<歩きメモ>

▼ことでん陶駅に戻る(3km)、県道17号線を北上-1(標高60m)

 

▼県道17号線を北上-2

 

▼後を振り返る(急坂だ) 県道278号線との交点がもう直ぐだ

 

▼県道278号線との交点を直進(標高80m)、綾川町営バス停「北山」を通過(再び上りだ)

 

▼県道17号線を北上-3

 

▼高松市西消防署綾川分署前に到達(標高94m)、分署前の「八雲神社」

 

▼県道17号線を北上-4、反射鏡にマーキング

 

▼県道17号線を北上-5、左(西)に鞍掛山

 

▼右()に高松市一般廃棄物最終処分場、県道17号線を北上-6

 

▼県道の右横の溜池から見る十瓶山と火ノ山、県道17号線を北上-7

▼県道17号線を北上-8(次の三叉路を右折)、一般道を北東に進む-1

 

▼一般道を北東に進む-2(次の交点を直進)、交点を直進

 

▼左前方に綾南中学校が見えてきた、綾南中の前を通過-1

 

▼綾南中の前を通過-2、綾南中グランド横を通って陶駅へ-1

 

▼綾南中グランド横を通って陶駅へ-2、ことでん陶駅は近い-1

 

▼ことでん陶駅は近い-2、バス停「陶駅前」と前方にことでん陶駅が見えた

 

▼ことでん陶駅、踏切から見る駅の構内

 

▼ことでん陶駅-1番ホームへ、ことでん陶駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀